中学時代は穏やかな日々も高校で再び悪夢

── 児童心理治療施設での思い出はありますか?

 

阿部さん:みんな仲がよかったですね。遊具を使った鬼ごっこみたいな遊びをして、グラウンドを走り回っていました。しょっちゅう走り回っていたからか、体も強くなったみたいで、4人部屋の3人がインフルエンザになっても私だけかからなかったほど(笑)。体が強いのは、強いバレーボール部に入っていた影響もあるかも。練習が厳しくて、中学の部対抗試合ではいつも準優勝していました。

 

阿部紫桜さん
現在は福祉系の大学に通う阿部さん

── 中学卒業と同時に児童心理治療施設を退所してからは自宅に戻ったのですか?

 

阿部さん:はい。私立高校への進学が決まったことが理由です。高校進学のことは親とたくさん話をしていました。やはり施設の最終目的は「家庭に戻すこと」なので、将来についても親との話し合いが優先されるところがありました。親も私にたくさん期待していたようです。

 

進学先については、本当は行きたい公立高校があったのですが、親に逆らうとその後でもっと嫌な思いをすると思うと言い出せず…結局親に言われるまま私立高校を受験することにしました。決めた時点で受験まで1か月しかなかったので、その間に受験の傾向を分析して問題のパターンを覚え、必死に勉強しましたね。合格はできたのですが、施設の予算の関係で施設からは進学できないことがわかり、家庭復帰することになったんです。

 

私は、「施設に残りたい」と訴えたのですが、前例がないから難しいと言われて…しかたなく自宅に戻りました。でも、その半年後の高校1年の10月に保護され、5回目の一時保護所での生活が始まってしまって。


── また一時保護されたのですね…。いったい何があったのですか?

 

阿部さん:施設を退所してから2週間後くらいに、義父からの身体的・心理的虐待がまた始まったんです。高校生活は充実していたけど、自宅にいるのがとにかくつらくて。毎日3時間くらいしか眠れず、成績不振が続いていました。ある日、限界を感じて、高校の図書室の先生に相談したんです。

 

── 図書室の先生とはどんな話を?

 

阿部さん:先がまったく見えないこの状況に耐えられなくて、「これからどうしたらええんやろう」と。先生は話を聞きながら私の気持ちを尊重してくれ、私が「児童相談所に行ってくる」と言うと、「待ってるね」と優しく答えてくれたんです。それで、もう行くしかない!となって、児童相談所に向けて自転車で出発しました。

 

── えっ!いきなり行ったのですか?

 

阿部さん:そうなんです。当時の私はスマホを持っていなかったので、道路の標識とバスの停留所名をたよりに、40分くらい自転車をこいで行きました。でも、やっと着いたと思ったら、警備員さんに「もう閉所しているから、今日は我慢して明日きてください」って言われちゃって。「虐待されているのにどうして入れてくれないの?」と大泣きしながら訴えたのですが、それでもダメで、いったんあきらめかけました。

 

でも、どうしても家には帰りたくなかった。それで、そのまま別の児童相談所に自転車で数時間かけて行きました。結局、夜の10時ごろに着いて、インターホンを鳴らしながら「助けてください!」って泣き叫んだんです。そうしたら、どうにか保護してもらえて、5か月そこで過ごしました。

親元には戻りたくない…でも高齢児の保護は難しいという現実

── その後はどうされたのですか?

 

阿部さん:自立援助ホームに入所しました。そこは、児童養護施設など社会福祉施設を退所した子が自立の準備をするため施設です。児童養護施設は年齢制限が18歳未満で、私は当時16歳だったので高齢児保護となり、退所まで2年しかないことで入所までいろいろなハードルがあって受け入れが難しいとのことで、自立援助ホームになりました。

 

親は2年間の親権停止になり、私は自立援助ホームで1年、里親家庭で1年過ごして高校を卒業しました。でも里親の家でもすごくシンドかったですね。ちょうどコロナ禍だったので、行動も制限されて…どこにも居場所がないと感じていました。

 

PROFILE 阿部紫桜さん

2002年福島県生まれ。小学高学年から児童相談所での一時保護、児童心理治療施設、里親家庭での生活を経験してきた。2023年4月、児童虐待を経験した若者たちの声を集めたドキュメンタリー映画『REALVOICE』にメインキャストとして出演。現在は、福祉系大学に通いながら、一般社団法人Heart resQ理事、IFCA日本メンバーとして子ども虐待防止活動を行っている。

 

取材・文/高梨真紀 写真提供/阿部紫桜