脇を鳴らして暴れまくる破天荒キャラの吉村さんに対して、無言で虫を食べるロケでブレイクした徳井さん。楽屋でも会話はしないそう。でも、それが24年間コンビを続けた理由?コンビ円満の秘けつを聞きました。(全5回中の3回)
「ピースにはかなわない」芸人はムリと悟りバイトとパチンコ三昧
── お母さんの発病から、家族の世話・家事・料理をすべて担ってきた徳井さん。とにかく家を出て東京に行きたい一心で、NSC(吉本総合芸能学院)に入ったそうですね。
徳井さん:「芸人になって稼ぎたい、モテたい」がスタートではないので、変わったタイプだったかもしれません。ちょうど同期には後のピースの2人がいて、すごくおもしろかったんです。「こんなおもしろい人たちがいるなんて、僕ではダメだ」って、すぐ悟りました。それから、芸人になるのはムリだなと思って、NSCにもあんまり行かず、日雇いのアルバイトをして、パチンコに行って…。あのとき、悪い世界に誘われていたらふらっと足をふみ入れていたかもしれないです。将来に夢も希望もないけど、実家に帰るつもりもない。どうしようかなと、1年間くらいフラフラしていました。
たまたまNSCを卒業後に、吉村から電話がかかってきて「コンビ組みませんか」って言うから、よくわからないけどそのままコンビ結成。後で聞いたら、何十人も声かけたけど、誰もコンビ組んでくれなかったそうです。
── 吉村さんから声がかかったんですね。平成ノブシコブシのおふたりはどんな関係ですか?徳井さんの結婚を、吉村さんが知らなかったというのは本当ですか?
徳井さん:結婚したことを言わなかったのは、言う意味がないからです。吉村は「おめでとう」だけでは終わらないのがほぼ確定しているし、俺は誰に何と言われようとすでに結婚すると決めていました。コンビは関係性が深いから、相手に何か言われたらイラっとするはずなので、最初から相談しませんでした。僕はもともと、自分ひとりで決めて実行するタイプなんです。人に何か言われても、意志は変わらないから、相談する意味もないでしょう?
吉村も同様で、考えているように見えても自分の中にすでに答えを持っているタイプだから、俺が何か言っても答えは変わらないはず。こんなふたりなので、それぞれプライベートは自分で決めたようにやればいいと、会話をやめたんです。でも、仕事面は吉村の言うとおりにやっていました。
「菓子を薬に見立てて」追い詰められた10年目
── あまりしゃべらないけれど、仕事は吉村さんの言うとおりに。コンビとして大きな転換期や解散危機などはありましたか?
徳井さん:結成10年目くらいの28〜29歳のころ、まわりも売れ出して、M-1ラストイヤー(当時の出場資格は結成10年以内、現在は結成15年以内まで)ということもあり、すごく焦っていました。いよいよ精神科に行くしかない、っていうくらいストレスを感じて、パニックみたいな感じ。毎日本当につらくて、ミントの錠剤菓子を薬に見立てて、鏡の前で15分くらい自分に暗示をかけてました。「これを食べたら気持ちがスーッとするけど、ふだんは食べちゃいけないよ」って。相当ヤバいでしょう?もうお笑いやめようかと思い詰めていたんです。
で、最後に後輩と一緒にお笑いライブをやってからやめようと考えました。それまでの10年間、吉村の言うことを聞いて、自分が思いついたアイデアや、気持ちを言ったことなかったんですよ。でも、最後だから自分でも企画しようとしてやってみたら、案外楽しかった。そこから自分でいろいろ考えてお笑いをやるようになり、ストレスも抜けていったので、「もうちょっと頑張ってみるか」という気になりました。
── 仕事で、自分のアイデアや気持ちを表現するようになり、吉村さんとの関係は?小藪さんの生き方を変えた、先輩の小藪一豊さんとの運命の出会いは、その後ですよね。
徳井さん:この最後のつもりのライブから、小藪さんに精神をたたき直されるまでの5年間は、吉村とはなるべく距離を置いていたかも。自分を正解だと疑わなかった僕ですが、小藪さんのおかげで人の気持ちを思いやれるようになり、変わりました。でも、小藪さん以後も、僕と吉村との間のとり方は、独特でした。僕は僕で仕事するし、おもしろいことはやりたいけど、ガツガツして一番売れたいかというと、違う。吉村が活躍してくれたら僕は僕で嬉しいから大丈夫、みたいな感じです。