フジテレビのアナウンサーとして活躍し、去年、勤続20年を機に退職した石本沙織さん。明るく元気なイメージの局アナ時代にも悩みがあったそうで──。(全3回中の1回)
いつどこで撮られるかわからない
── 石本さんが入社された2003年は、いわゆる第3次女子アナブームと言われ、アナウンサーがアイドルのように注目を集めていました。それを実感したのはどんなときでしたか。
石本さん:入社してすぐ、ゴールデンウィークに開催されたイベントのお手伝いに行った時です。アナウンサーも一般職の同期も研修中で、私たちは「新人アナウンサー」というタスキをかけて参加していました。その場所に週刊誌のカメラマンがやってきて写真を撮られるという経験をしたのです。
暗黙の了解で、イベントの際にスカートは注意してパンツで行った方がいいとか、パンツも下着のラインが見えないようにというのは、みなさん気をつけていたと思います。私は狙われるタイプではないと思っていたのですが、いつ、どこで何を撮られるかわからないという意識はあったと思います。新人というだけでネタになるので気をつけてはいました。そういう時代でしたね。
── 狭き門を潜り抜けて、アナウンサーになりましたが、ご自身の個性をどう表現しようと思っていましたか。
石本さん:女性で同期入社の戸部洋子はミス立教、長野翼は報道志望で、面接のときから2人とも路線がしっかりしていてすごいなと感じていました。私自身はどうしようと思ったときに、大学でチアリーディグをしていたのと、スポーツは観るのもするのも好きなので、元気キャラでいこうと思ったんです。
面接も、スポーティーなイメージで乗りきりました。それで採用が決まったので、入社後もこれでいいんだなと思っていました。とにかく元気に、声は大きく(笑)。誰よりも先に笑顔で挨拶をすることを心がけていました。
「ここに自分がいていいのかな」
── 元気なイメージは画面を通しても伝わってきていました!
石本さん:よかったです!でも、葛藤がなかったわけではありません。フジテレビらしさってなんだろうと考えて、華々しい先輩方についていこうとか、そうならねばならないというような意識はやっぱりありました。自分の居場所を必死に探していたように思います。
めざましテレビでスポーツコーナーを担当していた頃、当時のメインキャスターが大塚範一さんと高島彩さん。情報キャスターに中野美奈子さん、皆藤愛子さんがお天気コーナーを担当されていて、「この華々しい場所に自分がいていいのかな」と思っていました。そうは思いながらも、自分ができること一生懸命に、とにかく元気に振る舞っていたのですが、あるとき大塚さんが「石本がいるとスタジオが元気になるね」と言ってくださって。すごく嬉しかったです。
フジテレビのアナウンサーには、やはりアイドル性が必要なのかなと思っていたので、「私はフジテレビっぽくないな」と思ってコンプレックスに感じていたことがありました。大塚さんのひと言で「私のキャラもちゃんと認識されていて、必要とされているんだ」と思えたことは、その後の自信に繋がりました。
── スポーツなどを担当されているイメージも強いです。
石本さん:最初に「めざにゅ~」、そのあと「めざましテレビ」のスポーツコーナー、土日の夕方のニュースのスポーツコーナーなどを担当しました。任された仕事を振り返ってみても、入社時の自分のイメージとマッチしたのかなと思って嬉しかったですね。実際に、選手の皆さんと一緒にスポーツを体験させてもらう機会も多く、それをおもしろがってくれたのもありがたい環境だったと思います。
── 石本さんの元気はどこからくるものなんですか。
石本さん:実は、私の両親もこういう感じなんです。夫が最初に私の実家に来たときは驚いていました。「家族全員、声が大きいね」って。基本的にちょっとテンション高めな家族なんですが、うちではこれが普通といいますか…。ロートーンで、相手から「機嫌が悪いのかな」と思われてしまうのが心配だというのもあります。一緒に過ごす方には、楽しい時間を過ごしてほしいと思っているので、まずは私からオープンに心を開くというのは自然としていたことかもしれません。
── アナウンサーは天職ですね。
石本さん:大学在学中にチアリーディングをしていたこともアナウンサーの仕事に役立ちました。演技中は、つらい局面であっても、基本的に口角を上げて笑顔をキープしなくてはなりません。アナウンサーの仕事は、初めてお会いする方とお話しする機会も多いですし、人に興味があるという要素も必要なので、あとあとこの仕事が向いているのかなと思うことはありました。
歌うまアナとしてもブレイク
── 石本さんといえば、歌が上手いアナウンサーとしてのイメージも強いですが、テレビで歌唱力を披露するきっかけはなんでしたか。
石本さん:めざましテレビでご一緒していた高島彩さん、中野美奈子さんとカラオケによく行っていたのですが、おふたりから「歌、うまいね!」と言ってもらっていました。当時、今田耕司さんと東野幸治さんが司会で、高島彩さんと中野美奈子さんがアシスタントをされていた「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦」のプロデューサーに、彩さんたちが「後輩に歌が上手い子がいる」とポロッと言ってくださったようなんです。
そのあと番組から「1回、出てもらえるかな」と打診がありました。「歌は大好きなのでやります」と引き受けて最初に歌ったのが、椎名林檎さんの『本能』でした。ナース服を着て出演したのですが、そこから毎回レギュラーのように出させていただいていました。
でも、ひとりで出ているとだんだんネタもなくなってきたので、後輩の高橋真麻を道連れにしたんです(笑)。そこから「あのふたりがおもしろい」と言われて、「草彅剛の女子アナスペシャル」の「女子アナ歌が上手い王座決定戦」の出演にも繋がっていきました。当時、自分の立ち位置に悩んでいた高橋真麻はいまだに「石本さんがいてくれたおかげで今の私がある」と言ってくれています。