「離婚してほしい」と言われて仕事に本格復帰

── 新しい家族ができて、生活は変わりましたか。

 

金子さん:それが…念願だった次男も産まれて、4人家族になったと思ったら、夫が名古屋に単身赴任になったんです。ひとりで子育てをするのはほんとうに大変で、あまり記憶がないくらいです。そんなとき、夫から「離婚してほしい」と言われたんです。まだ次男が2歳か3歳の頃です。理由は聞いていません。だいたいの想像はついていましたけど、詮索はしませんでした。詮索したり探ったりしても、いいことはないと思っているので。

 

彼と再婚してから、私は前の夫と一緒にやっていたネイルシールの仕事を辞めてしまっていました。子育てを優先させていて、パーツモデルの仕事も減らしていました。今離婚したら生活していけなくなると思ったので、「もう一度本格的に仕事を始めるまで、ちょっと待って」と返事をしました。子どもたちを養っていくために生活を立て直さなければと思いました。

 

金子エミ
5年前のモデル撮影現場で。当時金子さんは48歳!(本人のInstagramより)

── それは…大変でしたね。

 

金子さん:ちょうどその頃、「美容家として書籍を出さないか」というお話をいただいていたんですが、顔を出すことが条件だったので、なかなか決心ができなくて。それまでは、パーツモデルとしてときどき取材を受けるくらいならいいけれど、本格的に顔を出してやっていく覚悟が持てませんでした。でも、夫は離婚したいと言っているし、子どもたちのために頑張らなきゃ!と思って、お受けすることにしたんです。

 

その本が思わぬ反響をいただいて、美容家として活動するきっかけになりました。ネガティブなことがプラスに転じることもあるんですよね。

 

私がずっと所属していた「SOSモデルエージェンシー」はモデル専門の事務所だったので、泣く泣く辞めることにしました。お世話になったマネージャーさんには、「今までは体を使ってやってきたけれど、これからは頭を使ってやっていくのよ」とアドバイスをいただきました。そのマネージャーさんには最後まで支えていただいて、感謝しかありません。

 

それから数年たって、仕事も軌道に乗ったことだし「もう離婚してもいいよ」と夫に言ったら、「そのつもりはない」と。まあ、勝手ですよね(笑)。私は今も許していませんけど、名古屋と東京と離れて暮らしているくらいの距離感が、夫婦としてはちょうどいいのかもしれないと思っています。

 

金子エミ
久しぶりのリンパマッサージへ(本人のInstagramより)

 

PROFILE 金子エミさん

パーツモデル、美容家、事業家。コマーシャル100本以上、雑誌出演数100本以上をこなす。パーツモデルに求められる肌感や表現力を熟知した唯一無二の存在として独自のケア方法をテレビをはじめ多方面で披露。プライベートでは2人の息子の母。ダウン症の長男 カイト君の世界水泳挑戦と、これまでの子育てを描いたコミックエッセイ『世界は君のもの~美容家ママとダウン症カイトの世界水泳奮闘記~』(オレンジページ)ほか著書は7冊。

取材・文/林優子 画像提供/金子エミ