パーツモデルとして活躍していた金子エミさん。ダウン症の長男を出産後に起きた波乱の半生をうかがいました。(全5回中の3回)

子宮がん発覚をきっかけに離婚を決意

金子エミ
パーツモデル兼美容家の金子エミさん(本人のInstagramより)

── 出産後は、仕事も育児もご夫婦でいっしょにされていたのですよね。

 

金子さん:その生活は、海人が3歳のときに一変しました。私が30歳のとき、子宮がんが見つかったんです。私の母は29歳のときに子宮を摘出していて、「あなたも30歳になったら検査をしなさいね」と言われていました。ちょうど自治体から無料検診のお知らせが届いたのをきっかけに、検査を受けました。

 

検査は受けたものの、仕事と育児でバタバタしていて結果を聞きに行きそびれていたら、夫から職場に電話がかかってきたんです。「病院から、すぐに来るようにと電話があったよ」。そう言われてすぐに病院へ行って、精密検査を受けました。

 

結果は0期だったのですが、がんに進行する可能性が高いからと、切除することを勧められました。ただ、病変のある場所があまりよくなくて、そこを円錐切除すると「おそらく子どもができにくくなるでしょう」と説明を受けました。

 

私としては、いつか海人にきょうだいをつくってあげたいという思いがありました。じつはその頃、私は当時の夫と離婚しようと考えていたんです。夫と離婚するのに「もうひとり産みたい」と思っていたなんて、今考えると矛盾しているんですけど。

 

── 離婚したいと思われたのはどうしてですか。

 

金子さん:その頃、夫は仕事を辞めて、私のネイルシールの仕事を手伝っていました。「命にかかわる病気かもしれない」と思ったとき、「海人と夫、ふたりは抱えていけない」と思ってしまったんです。海人を守っていくことだけで精一杯でした。

 

パーツモデルになりたいと思ったときもそうなんですけど、私は思い立ったら行動が早いタイプで、「もう無理!」と思ったらあと戻りできないんです。治療方針も決まらないうちに、離婚して海人と家を出てしまいました。

 

どうしても切除する決心がつかなかったので、病院を2回変えました。3軒目の病院で、「切除しないでレーザーで焼いてみましょう」と言ってくださる先生に出会えました。「半年後に検査をして、万が一ひっかかったら、そのときはあきらめて切除しましょう」と言われて覚悟を決め、レーザーで処置してもらうことにしました。

 

いまの夫に会ったのは、ちょうどその頃のことです。

「友達だった彼」と再婚を決めたきっかけとは

金子エミと家族
次男の小学校入学時に撮った家族写真(本人のInstagramより)

── 再婚された経緯をうかがってもいいですか。

 

金子さん:私は結婚するつもりはなかったんです。海人とふたりでやっていこうと思っていたし、病気のこともありましたし。

 

のちに夫となる彼はテレビ局でプロデューサーをしていて、彼が担当する番組に、私の友達が出ていたんです。彼女が「手タレの友達がいる」という話をしたら、彼が「ぜひ会ってみたい」というので、紹介されました。手だけしか出さないモデルに会うのは初めてだったらしくて。神秘的なイメージがあったんでしょうね。

 

彼とは食の好みやファッションの好みが合って、女友達と一緒にいるみたいに楽しかったんです。いつもみんなでワイワイごはんを食べていたんですけど、たまたま家が近かったので、帰りに「一緒にタクシーに乗ろうか」ということになって。それがふたりで会うようになったきっかけでした。

 

それから海人も一緒に個人的に会うようになって、3回目くらいのデートで、彼に「結婚しようか」と言われたんです。彼も思い立ったら行動が早いタイプで、そのスピード感も合うんですよね(笑)。でも、そのとき私はまだレーザーで処置を受けたばかりだったので、「半年後の検査で、セーフだったら考えさせて」と返事を保留にしてもらいました。

 

── 検査の結果、晴れてご結婚を?

 

金子さん:そうですね。検査の結果が問題なかったので、結婚することにしました。披露宴のとき、司会の方に「どうして彼女と結婚しようと思ったんですか」と聞かれて、彼は私が海人のお尻に指を入れているのを見て「結婚しよう」と思った、と答えたんです。「ええ?そこ?」と思いました。披露宴にはタレントのヒロミさんも来てくださっていて、その答えを聞いて大笑いされていました。「そこかよ」って(笑)。

 

金子エミの夫と次男
小さい頃の次男と夫と(本人のInstagramより)