パーツモデルとして30年以上のキャリアを持つ金子エミさん。20歳の頃、手のモデルを目指し、事務所に自撮りの写真を送ってから人生が大きく動き出します。(全5回中の1回)
クリーニング店のお客さんに「きれいですね」
── パーツモデルになったきっかけを教えてください。
金子さん:私の実家は、祖父の代からやっているクリーニング屋なんです。20歳の頃、お店を手伝っていたら近所にあるホリプロの方がいらして、「きれいですね」と言うから「スカウト!?」と思ったら、「手が」と(笑)。
私の手は父親の手に似ていて、自分ではきれいだと思ったことはなかったんです。そのとき初めて「私の手ってきれいなんだ」と思って。CMなどで手が出てくるシーンは、手タレさんがやっているという話を聞いて、「ぜひ出てみたいな」と思いました。
それで「写ルンです」で片手の写真を自分で撮って、ふたつの事務所に写真を送ったんです。そうしたら「SOSエージェンシー」から「いらしてください」と電話をいただきました。
銀座にある事務所へ行ったら、白髪の上品なマネージャーさんが応対してくれたんですけど、なんだかそっけないんです。「こんにちは、と言っちゃったからかな、この業界ではおはようございます、なのかな」と思って「おはようございます!」と言い直したら「あなた、そういう問題じゃないのよ、そこにお座りなさい」と言われて。
そのとき私、指輪をいくつかつけていたんです。「その指輪を取ってみて」と言われて取ったら、指に日焼けのあとがくっきりついていました。当時はエアロビのインストラクターを目指していて、日焼けサロンで焼いてたんですよね。
「あなたね、そんな日焼けのあとがある手で、パーツモデルができるわけないでしょ」と言われて、その日は門前払いされてしまいました。
── それでも、あきらめなかったのですか。
金子さん:私って昔から、逆境にあるほど「頑張ろう」と思えるんです。子どもの頃は器械体操の選手で、宙返りとか車輪とかアクロバティックな技をやっていたせいか、刺激を求めているのかもしれません。恋愛でも、うまくいかなそうな相手ほど頑張って振り向かせようとする、そういう精神の持ち主なんです。
20歳くらいになると、人に叱られることってそうないじゃないですか。その日、初めて会った人に叱られて、「甘い世界じゃないんだ、パーツモデルはプロフェッショナルなんだ」と思ったらやる気になって、心の中で「絶対にパーツモデルになる」と決めていました。
帰り道にそのまま、目黒駅の近くにあったエステサロンへ行きました。「手のモデルをやりたいと思って事務所へ行ったら、日焼けのあとがあると言われた」と相談したら、業務用のゴマージュ、今でいうピーリングをすすめられて、「これで1週間に1回、角質のケアしてみて」と言われたんです。その日から角質のケアを始めて、日焼けサロンへ行くのもやめました。
1年たって、日焼けのあとが消えた頃に「もう1回見てもらえますか」と事務所へ行ったら、1年前に会ったマネージャーさんが「あら、あなた、そんなにやりたいの」と驚いていました。「あなたの手、普通なのよね。でも、そんなにやりたいならやってみる?」という感じで、事務所に所属させてもらえることになりました。
そのとき、そのマネージャーさんに「スナックとかクラブのスカウトマンに声をかけられても、夜の世界へ行っちゃだめよ」と言われたんです。事務所は銀座にあったので、実際によく声をかけられました。「あなた、夜の世界の雰囲気があるから気をつけなさい。オーディションでは、手だけじゃなくて、人となりも見られるから」と。このマネージャーさんとの出会いがなければ、今の私はいなかった。ほんとうに感謝しています。