お金に翻弄されながら、そのたびにめげない心と幸運がやってきて、前に進める。13歳で借金を作り、20代では1億円も借金を抱えた杉田かおるさん(59)。ふつうなら心が折れちゃいそうな局面で、杉田さんはいかにして前を向き続けたのでしょうか。(全5回中の2回)。
残った借金…救ってくれる芸能事務所が現れる
── 長年、芸能活動をされてきた杉田さんですが、お金で苦労されたこともあると伺いました。
杉田さん:13歳のときに300万円の借金、20代なかばで1億円の借金を抱えることになりました。「13歳で借金」というとすごく驚かれます。
ちょうど小学校卒業の時期に、それまで所属していた「劇団若草」をやめました。すると、いろんな芸能プロダクションから引き抜きの話がありました。
そのなかにうまい話を持ってきた人がいたんです。大手プロダクションを退職した、やり手のマネージャーが「出資して事務所をつくりませんか?」と誘ってきて。13歳のときに母を保証人にして、個人事務所をつくることになりました。
たった13歳で独立したんですよ!そのころの自分には、やることが30年早いと言いたいです。とはいえ、坂上忍くんも中学生のときに自分の事務所をつくっていて、いまも続けているんですよね。彼は本当にすごいと思います。
私は子役だった香坂みゆきさんがアイドル歌手として活躍する姿を見て、安易に「アイドル歌手に転向しよう」と思ったんです。残念ながらアイドルとしてはまったく売れませんでした。1年で失敗して事務所は倒産。300万円の借金だけが残りました。
── 13歳で借金300万円はとんでもない金額ですね。どのように返済したのでしょうか?
杉田さん:助けてくれたのが、萩本欽一さんや坂上二郎さんが所属している大手芸能事務所「浅井企画」さんです。浅井企画に所属していたマネージャーが『子連れ狼』に出演したときの私の演技を見て、「どうしても杉田かおるのマネージャーをやりたい」と言ってくれて。
浅井企画が私の借金を肩代わりしてくれ、事務所に所属させてくれました。懐が深い事務所で、本当に感謝しています。運がいいことに、萩本欽一さんの『欽ちゃんドラマ・Oh!階段家族!!』というドラマに出演させてもらえることになりました。
ただ、私はほとんど顔が映りませんでした。欽ちゃんが「ホームドラマの食事シーンで、家族全員がカメラのほうを一列に向いて食べているのは違和感がある。食卓を丸く囲んで食べよう」と言ったんです。私の役はいつもカメラに背を向けていました。番組を観た妹に「お姉ちゃん、今日も顔が映ってないね」なんて言われていたんです。
当時は、浅井企画に早くお金を返そうと必死でした。仕事は選ぶ余裕もありませんでした。『金八先生』や映画『青春の門』などに出演し、『池中玄太80キロ』の主題歌『鳥の歌』がヒットしたおかげで、借金は3年ほどで完済することができました。
「父が勝手に実印を持ち出して」気づけば1億円の借金
── その後、20代なかばで多額の借金を背負ったのはなぜでしょうか?
杉田さん:借金を返済したものの、そのころは給料制でした。私が家族の大黒柱だったから、事務所からの給料だけで生活をしていくのは大変だったんです。「歩合制にしてほしい」と交渉したものの、折り合いがつきませんでした。そこで別の事務所に移ることになりました。
浅井企画に所属していたときは、「家賃を払うのは大変だろう」と社長が気にかけてくださり、目黒のマンションを社宅として、家族で住まわせてもらっていたんです。辞めるときにそのマンションを2000万円で買い取ることに。新しい事務所に保証人になってもらい、銀行に借りて支払いました。
ちょうどバブルが来たタイミングで、マンションの価格がどんどん上がっていき、最終的にそのマンションの資産価値は1憶円になりました。すると、父がやってきて、「マンションを担保にして連帯保証人になってほしい」と言ってきたんです。
もちろん断りましたが、実印を持ち出され、いつの間にか私が保証人になっていて…。気づいたら、1億円の借金を抱えていました。バブルがはじけていたので、マンションの価値は下落し、売却しても借金は返せませんでした。そのころは役者の仕事もまったくない状態。お金が本当になくて、所持金が800円だったこともあります。
旅番組ではロケハンに台本書きも「ほとんどスタッフでした」
── 800円では暮らしていくのも難しいと思います。どのように生活していたのでしょうか?
杉田さん:母は昔から質屋通いが得意だったんです。着物などを質屋に入れてなんとかしのいでいました。
そのころから少しずつ旅番組のオファーが来ました。当時は旅番組に出演する女優さんってほとんどいなかったんです。私は映画『青春の門』でも脱いでいたし、コアなファンの方から「杉田かおるの入浴シーンを観たい」という声があったらしくて。その後10年くらい、たくさんの旅番組に出演しました。『いい旅・夢気分』にも半年に1回は出ていました。
30代に入ったころ、秋野暢子さんとふたりで旅番組に出演したことがあります。そのときに「今日は温泉シーンをまとめて撮ります」と言われて、1日で3か所温泉を回りました。何度も脱いではお風呂に入っていたから「私たち、ストリッパーみたいね」と笑っていました。
実際はすごく楽しくて、一番好きな仕事でした。でも、番組によっては低予算で作られているから、出演するだけでは済まされないんですよ。いまみたいに構成作家がついていない番組もあって、ロケハンから同行して現場を下見し、台本まで書くこともありました。
── それはもう出演者というよりスタッフですね。
杉田さん:演者とディレクターと構成作家とを兼任した感じでした。一緒に下見に行ったスタッフに「明日、この人にインタビューするから質問内容を考えておいて」とか、「昔、詩を書いていたんだってね?番組用に詩を書いておいてよ」とか言われて。かなりの無茶ぶりですよね。でもそこで鍛えられたおかげで、のちにバラエティ番組に出演したときも自分で企画を考えることができたし、すごく役立った経験です。
私の人生、「逆さ富士」みたいなんです。仕事がうまくいっているときは、調子に乗ってプライベートは滅茶苦茶だったこともありました。逆に「もうダメだ」と思っているときは、後から振り返ってみるといい出会いに恵まれたり、成長させてもらえるチャンスがあったりしたんです。
だから、もし今後も苦しい状況におちいっても、あきらめずに頑張ればきっと日の目を見るものなんだと思います。
PROFILE 杉田かおるさん
すぎた・かおる。1964年東京生まれ。俳優、タレント。7歳で「パパと呼ばないで」に出演し子役としてデビュー。79年TBSドラマ「3年B組金八先生」に妊娠する中学生を演じ話題に。バラエティ番組にも多く出演。2009年に10キロのダイエットに成功。美容、健康やオーガニック、農業などにも関心を深める。2013年から母の介護に取り組む。2018年、俳優としての活動を再開。
取材・文/齋田多恵 写真提供/杉田かおる