高校3年生で家出をし、キャバクラで働き出した漫画家の浜田ブリトニーさん。実家に仕送りをしたり、トリマーの専門学校に通ったり、紆余曲折を経て漫画家になる決意をするまでの道のりとは?(全5回中の2回)

高3の始業式に退学届「錦糸町のキャバクラへ」

── 漫画家になるまでは、キャバクラなどで働いていたそうですね。どんな経緯があったのでしょうか?

 

浜田さん:高校3年生の始業式に、「東京に行きたい」「自力で稼ぎたい」と思って退学届けを出したんです。誕生日が4月7日で18歳だったこともあり、家出してキャバクラで働くことにしました。

 

── 高校を辞めて家を出ることに、ご両親は何か言っていましたか?

 

浜田さん:兄がヤンキー世代ですごく自由に生きていました。両親も兄で耐性がついていたみたいで、私が家を出ることを、それほど大きな問題としてとらえてなかったみたいです(笑)。

 

でも、いきなり都心に行くのも怖くて…。最初は錦糸町のキャバクラで働くことにしました。寮があったから、そこで生活できたのも大きかったです。

 

ただ、そこはキャバクラというよりもクラブ寄りだったんです。お店のママには、礼儀作法とかをものすごく厳しく教えられました。

 

── 錦糸町で働いたのはどれくらいの期間だったのですか?

 

浜田さん:1年くらいです。錦糸町のお店でも稼いでいたんですが、働いているうちに「君はギャルだし、池袋とか新宿とかのほうが合ってるよ」とお客さんに言われてお店を移りました。

 

そうしたら前に比べ、びっくりするくらいラクでゆるかったんです。新宿や池袋で働いたあと、六本木に移りました。六本木が一番長かったですね。ちゃんと計算していないけど、当時は月に数百万円稼ぐこともありました。でも、お金を稼いでも使い道がないんですよ。だから、毎月親にも仕送りをしていました。

 

── それは親孝行ですね!

 

浜田さん:父は自営業で広告代理店みたいなことをしていたんですが、体調を崩して入院をするようになって…。仕事もうまくいかなくなってしまったんです。

 

だから、ずっと私が家族の大黒柱になっていました。キャバクラで働いているときは基本的には寮生活をしていました。

「15万円の給料では仕送りもできない」と就職を断念

── その後、トリマーの専門学校に通い始めたと聞きました。

 

浜田さん:20代後半になって、だんだん稼げなくなったこともあり「ずっとキャバクラで働くのは難しい」と考えるようになったんです。当時はペットブーム。ペットショップをオープンしたら稼げるかと思い、高卒認定資格を取得して、トリマーの専門学校に通い始めました。

 

トリミングや動物愛護管理士など、本格的な資格も取得して、2年間ちゃんとまじめに通って卒業したんです。でも、ペットショップに関してはまったくの未経験だから、まずはいったん動物病院に就職して実務を勉強しようと思いました。

 

キャバクラで働いていたギャル時代

就職先を紹介されて行ってみたら、キャバクラとのギャップが激しくて…。キャバクラは個人主義というか、キャバ嬢の実力次第でいくらでも稼げたんです。ところが、動物病院だと組織のなかで働くから上下関係があって。私にはムリでした。

 

初任給の手取りも15万円と聞いて、「これはヤバい」と就職をあきらめました。若いうちからキャバクラで働いていたから、金銭感覚がバグっていたのかもしれません。ひとり暮らしで親に仕送りもしていたから、月15万円はさすがに厳しかったです。

 

トリマーの専門学校に通い始めてからは、住むところもありませんでした。というのも、ずっと住んでいたキャバクラの寮に入るには、週6日お店に出ないといけなかったんです。

 

専門学校で勉強しているときは学業優先で、週2~3回しかお店で働けません。だから寮を出ないといけなくて…。ネットカフェやカラオケボックスに泊まったり、当時の彼氏の家に転がり込んだり、転々としていました。

 

── 浜田さんがテレビに出ていたころ、「ホームレス漫画家」と言われていたのは、そういった生活をされていたからなんですね。

 

浜田さん:そうなんです。ホームレスというかネットカフェ生活ですよね。でも、ネットカフェで寝泊まりしていたからこそ、運命的な出合いをしました。

 

── 運命的な出合いというと…?

 

浜田さん:藤子不二雄(A)先生の『まんが道』という漫画です!ネットカフェで読んで、あまりに感動して大人買いして一気読みしました。漫画を買うのも久しぶりだったんです。

『まんが道』に感動して漫画の専門学校へ入学

──『まんが道』のどのあたりに感動したのでしょうか?

 

浜田さん:そのころは動物病院の就職もうまくいかず、ずっとキャバクラで働くのも先が見えない状況で、挫折感でいっぱいだったんです。『まんが道』に描かれていた藤子不二雄(A)先生の漫画にかける情熱にものすごく感動しました。

 

そこでトリマーはやめて漫画家になろう、と方向転換することに。それまで漫画を描いたことは一度もなかったのですが、翌年から漫画の専門学校に通うことにしました。

 

「人生の師匠」と仰ぐマンガ家の御茶漬海苔先生と

── すごい行動力ですね。これまで漫画を描いたことがなかったのに漫画家になろうと思ったのはなぜでしょうか?

 

浜田さん:なんか「あ、漫画家になろう」と直感でピンときたんです。まったくの未経験だったので、線の引き方やペンの種類みたいな基本的なところから習いました。

 

半年かけてはじめての作品が完成しました。それが学校の最優秀作品賞に選ばれたんです。そこからが、私の本格的な漫画生活の始まりだったといえるかもしれません。

 

PROFILE 浜田ブリトニーさん

はまだぶりとにー。漫画家・タレント・実業家。千葉県出身。週刊漫画雑誌『ビッグコミックスピリッツ』にて、渋谷ギャルのリアルな実態を描いた『パギャル!』を連載し、ホームレスギャル漫画家としてバラエティ番組に多数出演。2012年2月、株式会社PIECE EIGHTを設立し社長業もこなす。2児の母。

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/浜田ブリトニー