フリーに転身して前途洋々なはずの人生が、2か月で暗転します。笠井信輔さんを待っていたのは、「悪性リンパ腫のステージ4の宣告」でした。好んで病名を公表する人はいませんが、「でも…」と声をあげたのは、ワイドショーの中にいた人としての、責務でした。(全5回中の1回)
「アナウンサーの仕事がなくなり」退職を決意
── 順風満帆なアナウンサー生活を送っていた笠井さんですが、56歳でフジテレビを退職したのはなぜでしょうか?
笠井さん: 簡単な話で、フジテレビにアナウンサーとしての居場所がなくなったからです。『とくダネ!』が始まった当初から、2時間の放送時間枠のなかで私は30分くらいを担当してしゃべっていました。それが10年以上続いたんですが、長寿番組の宿命といいましょうか?若いアナウンサーの登用で最後の1年は、毎日1~2分程度しか話す機会を得られませんでした。
私は『とくダネ!』担当時からデスクも兼任していて、ディレクターの原稿チェックや演出も手掛けていました。年齢を重ねると若手の指導の仕事も増え、だんだんアナウンサーとしての仕事がなくなって…。
こうなると、社内異動の可能性も出てきます。アナウンサーは弁も立つし顔も知られているから、異動後はわりといいポジションに就けるんです。でも、私は会社のなかで偉くなりたいわけではありませんでした。やっぱり話す仕事がしたかったんです。
さいわいなことに会社に所属しながら、映画祭の司会や講演会など、外部から仕事を依頼されることは結構ありました。そこで、56歳で退職してフリーになることに。周囲からは「あと4年在籍すれば退職金も満額もらえるのに、もったいない」と言われましたが、思いきりました。
退職2か月後に「悪性リンパ腫が発覚」悪夢かと…
── 意外な退職理由ですね。2019年に退職した2か月後に、悪性リンパ腫と診断されたのはものすごいタイミングだったと思います。
笠井さん:悪夢かと思いました。フジテレビに勤めていれば、健康保険組合の傷病手当などで半年入院しても基本給の6〜7割は支払われます。それが何もなくなってしまった。経済的な支えになったのは特約保険とがん保険でした。本当に助かりました。
── すでに降板していた『とくダネ!』で、病気のことを公表したのはなぜでしょうか?
笠井さん:約30年間、ワイドショーに関わってきた者としての責任感です。これまで私は、番組のなかで有名人のプライバシーに関することをニュースにしてきました。
取材した方のなかには報道されるのを好まない方もいらっしゃいました。それなのに、自分の私生活が大きな局面に差しかかったときに「これは私のプライバシーなのでそっとしておいてください」というのは、ちょっと違うと思ったんです。
ちょうど私が病気になる1年前に、小倉智昭さんが膀胱がんにかかって、本当に細かく病状を公表され、反響も大きかったんです。病気の情報を求めている人が多いということも知りました。
小倉さんの姿に、私はワイドショーアナウンサーとしてのひとつの生き方を見せていただいた気がしました。それで私も古巣である『とくダネ!』で発表することにしたんです。
── 公表したことによって変化はありましたか?
笠井さん:番組内で『びまん性大細胞型B細胞リンパ腫』にかかったと、病気の「型」まで伝えました。悪性リンパ腫は90種類ほどありますが、それぞれ治療法も対応も違うんです。だから、リンパ腫と言っても、どの型なのかが重要です。専門の先生からは、「笠井さんが病気の型まで公表したのは重要なことでした」と、よく言われました。
同じ型のリンパ腫を患っている方たちは、「自分と同じ型だ。経験や情報を知りたい」と思われたようです。それまで300人程度だったインスタグラムのフォロワーが30万人に増えました。
インスタでは周囲からも驚かれるほど、詳細に自分の病状を報告しました。私の病気は発見されたとき、すでにステージ4で脳にも転移しやすいやっかいなタイプでした。通常の治療法では治らない、といわれていたんです。
それでも主治医の先生は「いまの医療では、ステージ4が手遅れという診断ではありません。がん種と薬が合えば乗り越えられます。一緒に頑張りましょう」と言ってくださいました。
最初は気休めだと思っていたんです。だから、インスタを頻繁に更新したのは、自分が亡くなるまでの記録を残しておけば、貴重な資料になるだろうという感覚でした。
でも、たくさんのメッセージをいただいて。「笠井さんに励まされています」という当事者の方やご家族の方からの言葉に、気持ちが変わっていきました。「この命は私ひとりだけのものではない。がんと闘っている患者さんやそのご家族のためにも、生きて帰るのが私に課せられたミッションだ」と、思うようになりました。
主治医の先生の治療のおかげで「完全寛解」することができました。完全寛解とは、がんによる症状や検査での異常が見られなくなることです。完全に治ったことを指す「完治」ではありません。それでも、日常生活を送れるようになり、現代医療の進化を身をもって体験しました。