話題のドラマに次々と出演していた手塚理美さん。順調なキャリアを歩みながら、出産後は、子育て中心の生活へ。「生命の神秘を知りたい」と育児に向き合います。息子たちの反抗期、そして成人になってから。貫いた子育ての道がありました。(全4回中の2回)

「キャリアを手放す後悔はなかった」望んだ子育ての道

── 30歳で出産し、お子さんが独立されるまでは、子育て中心の生活だったそうですね。『ふぞろいの林檎たち』など、話題のドラマに次々と出演され、順調なキャリアを重ねていた時期に、仕事をセーブすることに迷いはありませんでしたか?

 

手塚さん:そういう気持ちはまったくなかったですね。いまも、あのときの選択に悔いはありません。昔から子どもを産んで育てることが、人生で一番やりたいことだったんです。自分のお腹のなかで、どんなふうにして子どもが育っていくのか、生命の神秘を知りたいという気持ちがありましたね。

 

北海道で暮らす次男が帰省した際は親子で出かけることも

── 自分にとって大切なものが明確だったのですね。

 

手塚さん:母が22歳のときに私を産んだこともあって、本当はもっと早く子どもが欲しいと思っていたんです。年齢が若いと未熟な面もあるけれど、体力的にはラクですし、早めに子育てを終えて、自分の人生を謳歌するのも楽しそうだなと。

 

それに、10代のころから芸能活動を続けてきて、ずっと決められたレールの上を走ってきた感覚があり、せめて自分にとって一番大切なものだけは譲りたくない気持ちもありました。ですから、子どもが高校生になるくらいまでは、家を空けるような仕事はすべてお断りしていましたね。

 

── 芸能界に執着があまりなかったのでしょうか?

 

手塚さん:それもあったかもしれませんね。ただ、「いまがグラついていたら、何も残らない」というのが、私の考え方です。いまをちゃんと生きていれば、必ずそれが未来につながっていくと思っていて。

 

子育ては地に足がついていないとできないので、子どもが20歳になるまでは、なによりも優先して過ごそうと決めていました。それが、いずれ必ず演技にも生きてくるだろうと。どんな暮らしをして、どういうふうに歳を重ねていくかは顔やたたずまいに表れます。女優という仕事は、経験がすべて反映されると思うんです。

反抗期でも「しつこくコミュニケーション」をとった

── そうした思いから、子育てに軸足を置かれていたのですね。お子さんと向き合うときに、心がけてこられたことやマイルールなどはありましたか?

 

手塚さん:スキンシップと声がけを大切にしていました。子どもが小さいころは、毎日ハグをしていましたし、大きくなってからも「行ってきます」「ただいま」と、必ず目を見て言葉を交わすようにしてきました。移動手段もできるだけ公共交通機関を使い、ぜいたくはさせないなど、当たり前のことを経験しながら、ふつうの感覚を身につけさせることを心がけました。

 

私自身も子育てを通じて初めて経験したことがたくさんありました。10代から芸能活動をしていたので知らないことがあまりに多く、子どもと一緒にいろんなことを学んでいった感じでしたね。

 

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── 97年に離婚された後、シングルマザーとして育児に奮闘されました。男の子2人をシングルで育てるのは、大変な場面も多かったと思います。反抗期は、どんなふうにして乗り越えましたか?

 

手塚さん:反抗期は、なかなか大変でしたね。長男が中2のころ、口を聞いてくれなくなって、部屋からあまり出てこなかった時期がありました。

 

でも、私のことを嫌いになったわけではないだろうし、成長の過程だからいつか落ち着くだろうと思って、あきらめずにしつこくコミュニケーションをとるようにしていました。向こうはイヤだったかもしれませんけど。

役者を始めた次男「アドバイスをしない」のが親心

── 手塚さんのInstagramには、息子さんが登場されることも多いですよね。一緒に出かけたり、食事に行ったりと、すごく仲がいい様子が伺えます。

 

手塚さん:もうすぐ29歳になる次男とは、散歩や読書など趣味が似ているんです。自然が好きで玄米食を好むところなど、いろいろと共通点も多いので、よく一緒に行動していました(現在、次男は北海道在住)。散歩や食事に出かけたり、好きな本の感想を言い合ったり、映画も一緒に観に行ったりしました。

 

逆に、長男は私と趣味があまり合わないらしく、散歩もあまり好きじゃなくて、一緒に歩いてくれなかったですし、いまだに何考えているのかわからないところがあります(笑)。でも、2人とも、とても優しくて自慢の息子ですね。

 

最近、次男が役者になりたいと言い始めたんです。「一生懸命やりなさい」と応援はしますが、とくにアドバイスなどはせずに、ほったらかしにしています(笑)。

 

お気に入りの「自由が丘 デュ アオーネ」を次男と共有したくて親子で訪れた

── あえてアドバイスをされないのは、なぜでしょうか?

 

手塚さん:結局、アドバイスというのは、あってないようなもので、実際に自分で経験してひとつずつ学んでいくのが一番いいと思っているんです。自分自身で考えて決めていかないと、どこかで人のせいにしてしまって、反発したり、心が不満だらけになってしまう。現に、私がそうでしたから。

 

だから、人のアドバイスをうのみにしないで、自分で決断し、決めたことは最後までやりぬいてみる。自分で決めたことなら、たとえ間違えて失敗しても納得できるし、後悔しないと思うんです。息子には、そう伝えています。

 

PROFILE 手塚理美さん

てづか・さとみ。1961年、東京都生まれ。俳優。7歳でモデルとして活動をスタート。1975年にユニチカ2代目マスコットガールとして芸能界に本格デビュー。1982年、NHK朝の連続テレビ小説『ハイカラさん』に主演。以降、『ふぞろいの林檎たち』『男女7人秋物語』など、様々なドラマや映画で活躍。2021年には、映画『メイド・イン・ヘヴン』で主演。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/手塚理美(えりオフィス)