紺野ぶるまさんは同い年の会社員男性と結婚し、一昨年4月に出産しました。産後はホルモンバランスの乱れに悩まされ、「旦那さんにキレまくったこともあった」と言います。産前産後のイライラやお子さんとの生活のほか、高校中退を経て通信制大学で学んでいる紺野さんから、学校生活に悩む方々へのメッセージなども伺いました。(全4回中の4回)
コロナ禍の難産「産後うつもガルガル期もあった」
── 産前はどのくらいの時期までお仕事をされていましたか?
紺野さん:妊娠9か月まで仕事をしていました。冬だったし、オーバーサイズの服も流行っていたので、時折バレてはいたものの、周りには言わないようにしていました。出産まで何があるか分からないというのと、本能的に子どもを取られちゃうような感覚になっていたのと、芸人をしているときは性別を忘れてやっているから、妊婦姿を見られることが嫌だというのが理由でした。
ギリギリまで仕事をしていたので仕方ないのですが、妊娠中は「妊娠してるでしょ?」って聞かれることが本当にストレスで。なんで私が言ってないことを聞いてくるの?言ってないってことはあなたに言いたくないってことでしょ!みたいな気持ちになっていました。あと、違っていたらどうするつもりなんだろう?この人…っていうのもありました。私もかつては聞いちゃうタイプだったので、反省した部分もありましたね。
妊娠を公表したあと、テレビ番組のお仕事で、カメラマンさんに「お腹を撮ってもいいですか?」と聞かれたことがあったんです。すごくいい空気感の現場だったんですけど、「嫌です!」と即答してしまって。今まで性別に関係なく自分という人間としてやってきたのに、お腹の膨らみを見られることで“女性”が際立つことに違和感がありました。これは仕事現場のみでの感覚で、自分でも不思議でした。
── 出産はいかがでしたか?
紺野さん:出産をナメていました。卵巣嚢腫を経験してきているので、皆さんがおっしゃっている出産の痛みや産後の痛み?私は耐えられます!とか思ってたんですけど(笑)。コロナ禍だったし、難産だったこともあって、めちゃくちゃ疲れました。17時間出てこなくて。お医者さんが「なんでこんなに子宮口が全開なのに、こんなに赤ちゃんが遠くにいるんだ」って言って、いろいろな人が私の股を見に来るんです。「白い巨塔」のワンシーンみたいにズラーっとみんなが集まって、代わる代わる手を突っ込んでも出てこなくて。帝王切開になるかもしれないからと、サインも書きました。
妊娠中は「私は産む担当だから、産まれたら旦那さんや皆さんで育ててくださいね」みたいな感覚だったんですけど、出てきた子どもの顔を見た瞬間に「え、かわいい!」ってなって。え?うそ?こんなにかわいいんですか!?あー、やばい!いろんなことがもうどうでもいいかも!という心境になるくらい、母性が生まれました。産後うつやガルガル期も、めっちゃありましたね。
── どのような場面で、イライラが募りましたか?
紺野さん:アドレナリンが出すぎたからか貧血状態だからか、産まれてから4日間、眠れなくなっちゃって。寝ようとしても寝方が分からず、旦那さんに「マンションの隣の部屋の人に泣き声が聞こえないように、今すぐ本棚をあそこに移動しといて」とか「ベッドはここに置いて、あれとこれを買っといて」とか「お願いだから、私が退院するまでにやっといてね」とかメールを送っていたんです。
でも、彼はコロナ禍で病院に来られないから私の様子を分かってないし、子どもにも会えていないので、「それ必要ある?早く赤ちゃんに会いたいな~」みたいな、いまいちピンと来ていない返事が来るんです。その瞬間、病室を飛び出して、「そんなんだったら家に連れて帰れないよ!どうして分からないの!?」ってヒステリックになってキレたことがあります。
寝てないから眠ろうとするんですけど、気を抜いたらふと窓を開けて飛び降りちゃいそうな気がするくらい、その衝動が来たときに自分は抑えられるのかって思うくらい、不安定でした。
子どもを預けてまでする仕事なのかと悩んだことも
── 退院後のご様子も聞かせてください。
紺野さん:退院してからも、突然やってくる母へのイライラや、旦那さんに対する「なんでこんなこともできないんですか?」みたいなモヤモヤがありました。母と旦那さんが子どもを抱っこしながら会話しているときに子どもが泣くと、その2人の間をわざわざかき分けて「どけどけ!貸せ!」みたいな感じで子どもを奪い取って私が抱っこするみたいなこともあって(笑)。ガルガルガルーという状態でした。
── どうやってガルガル期を乗り越えたのでしょうか?
紺野さん:出産前に読んだ本に「産後はホルモンバランスが崩れるから、夫のことを嫌いになってしまう可能性がある」と書かれていたんですよ。だから入院前に、旦那さんとの今までの思い出の写真を全部プリントアウトしたアルバムを作って、そこに好きなところを10個書いて、手紙を渡してから入院したんです。
そしたら、イライラしていたときにそれを見つけて。『きみに読む物語』っていう映画があるじゃないですか。あの映画のように「これは何?私が書いたの?」みたいになって(笑)。アルバムをあげたこともすっかり忘れていて、自分で書いた彼の好きなところを読んで「そうだ!私こんなにも彼のことが大好きだったじゃない!」って思い出したんですよ。本当に書いておいてよかったです。あれがなかったら、もしかしたら今ごろ私は塀の中かもしれない(笑)。
よくよく考えてみたら、旦那さんはめっちゃいい人だったんです。コロナ禍だったので、彼はリモート勤務が多くて。会議後に子どもを抱っこしてくれたり、ミルクをあげてくれたり、私を寝かそうとしてくれたり、育休を2週間取得してくれたりもしました。「この子は私の子だけど、この人の子でもあるんだな。そんなに全部をがんばらなくてもいいんだな」と思えました。今、生活がうまくいっているのは、私が背負いすぎていないこと、旦那さんがそういう環境にしてくれていることが大きいかもしれないです。
── 仕事と育児の両立はどのようにされていますか?
紺野さん:産後1か月半ぐらいで復帰したんですけど、初めは母が週に2~3回来てくれて、リモート勤務の旦那さんが家にいてくれて、マネージャーさんが仕事をやりやすいように調整してくださいました。子どもは今保育園に通っているので、一緒にいられる時間はなるべく外に連れ出して遊ぶようにしています。もうすぐ2歳で、私がテレビに出ていると「ママ、ママ!」って言ってますね。
ただ、保育園に入れるときは罪悪感が本当にすごくて。あんなに仕事が好きだったのに、子どもを預けてまですべき仕事なんだろうか、医療関係の方みたいに人の役に立つ仕事だったら預けてでも働く意味はあるかもしれないけど私の場合は…みたいな気持ちにもなりました。でも、ここで辞めるとこの子のせいみたいになっちゃうから、やっぱりこの子がいるからがんばれるって思えるくらいの人になりたいなと考え直して。「私って、いつまで『高校中退で・・・』とか言ってるんだろ。ちゃんと学び直して、大卒の資格を取らないとな」と思って、昨年9月からは通信制大学にも入学しました。
大学では、乳幼児の心理学や発達心理学、障がい者心理学を学んでいます。赤ちゃんはどのように成長するのか、どんなことが虐待なのか、何が子どもにとっていいのかなどを知って、子育てに反映させています。例えば、私がやってしまった旦那さんに怒ってる姿を見せるのも虐待に該当する可能性があるとか、暴力的な映像を見せ続けると真似をすることがあるとか、専門的に勉強しています。あと、子どもが大きくなったときに「母ちゃんが女芸人って」と思う日も来ると思うんです。そうなったときに、カウンセリングしてあげたいなとも考えています(笑)。