高校に入学したころからギャル化が進んだ紺野ぶるまさんは、校則違反を繰り返し、高校2年生の冬に退学処分を受けました。当初は自由を感じた紺野さんでしたが、「孤独を感じて、中退の翌月には後悔していた」と言います。通信制高校編入後に経験したさまざまなバイト、突然の病──。芸能界を目指すまでの道のりを伺いました。(全4回中の2回)

高2で退学処分「お前は社会のクズだ」

── 退学までの経緯を聞かせてください。

 

紺野さん:高2のときに、担任の先生が退職したんですよ。当時の私にはマジでどうでもよくて。でも、もう1度先生に戻ってきてほしいと考えたクラスのみんなが署名活動を始めたり、体育祭で使うための旗にもその先生の苗字を書いたりしたんです。私は「え、いつの間にそんなに先生への愛を育んでたの?」ってどこか冷めた気持ちだったんですけど、いざ体育祭の開会式で旗を持つことになったら、私たちのクラスがちょうど校長先生の真ん前だったからか、誰も持ちたがらなくて。クラスメイトからなぜか急に「ちょっと持って」って頼まれて。「え、この人たち何なの?」なんて思いながらも、校長先生を煽るように「うぇーい」みたいな感じで旗を振ったんです。

 

それでさらに目をつけられて、体育祭が終わったあとにまたいつもみたいに遅刻して、友達と電話しながらおでんを食べながら登校していたら、校長先生が校門の前で待ち構えていたんですよ。「また遅刻か。お前は社会のクズだ」って言われたんですけど、無視して先生の目を見ながら通話を続けていたら、「電話を切れ」って注意を受けて。食べていたおでんの汁で先生の足元をぐるぐるぐるって囲って「お前、ここから出るなよ!」って言ったら、次の日に退学になりました。

 

ギャル化に夢中だったころの紺野さん

──ご両親はどんな反応をされましたか?

 

紺野さん:それまでに遅刻とかでちょいちょい停学にはなっていて、イエローカードが何枚か溜まっているような状態だったので、今回呼ばれたのは最後通告だったんです。だから、父はとにかくブチ切れていて、母は「お願いだから今日のうちに髪の毛を暗くして、スカートも長くして」と懇願してきました。

 

でも私はまだ事の重大さが分かっていなくて、「はいはい。めんどくさ。明日起きるの嫌だし」みたいな感じで。母の言うことを聞かずにそのまま朝を迎えて、化粧をして香水もアクセサリーもつけて学校へ向かいました。

 

校長室に入ったら、校長先生と教頭先生と担任の先生がいて、「退学と処す」と書かれた書類を読み上げられました。「停学処分が何回かあった中で、直すチャンスがたくさんあったのに直さなかったですよね。お宅のお子さんがいると、この高校自体が腐っていく。腐ったみかんってありますけど、本当にそうだと思います」みたいなことを先生から言われて。

 

母はめちゃくちゃ泣きながら「何とか更生させるので、もう1度チャンスをください。お願いします、お願いします」ってテーブルに顔がつくぐらいの勢いで頭を下げ続けてたんですけど、校長先生は黙って退室して。もうどうにもならず、その日のうちに通信制高校のガイドブックを買って、両親の勧めで翌月からは通信制の高校に編入することになりました。

「晴れの日が怖かった」図書館通いとバイト生活

── 中退後はどのような心境でしたか?

 

紺野さん:高2の冬休みに中退した当初は、寝れる!おっしゃー!みたいな感じだったんです。でも、お母さんを傷つけちゃったとか、お金を無駄にさせちゃったとか、「うわ、あの空間って意外に楽しかったのかも」という後悔とかが1か月後には訪れました。マジですぐ後悔しました。高3になってからは、ほぼほぼ毎日悲しい気持ちになっていましたね。

 

学校に通っていたころは、授業中に外が晴れていると「あーあ、きっと『egg』に載ってるギャルたちは海に行ってるんだろうな。なんで自分はこんなところでよく分からない勉強をやらされてるんだろう。早く出ていきたいな」って思ってたんですけど、いざ学校を辞めて、朝起きて晴れていても、何もすることがなくて。学校を辞めたら自分はもっとギャルになっていて、ギャル男の友達がいっぱいいて、車もあって、みんなで海にいるみたいなことを想像してたんですけど、実際にはそんなわけないじゃないですか(笑)。単純に、ただ晴れてるだけ。

 

私の部屋のカーテンは蛍光オレンジで、西陽が差すと小児科みたいにパーッと明るくなるんですよ。でもみんなは学校にいるし、予定もないし、お金もないし、何もすることがなくて。晴れている日がめっちゃ怖かったです。孤独で、むなしかった。もちろん虚無感を埋める友達は何人かいたんですけど、不思議とそっちに行っちゃうと終わりだみたいな気持ちもあって、そっちだけは行っちゃいけないと思うと連絡もできなくて。不良にもなりきれず、宙ぶらりんでした。「あれ?思ってたのと違う。学校にいてみんなと『だるい、だるい』って言いながら教科書を開いてたの、なんか楽しかったかも。学校に通うのって恵まれていたんだな」って気づいて、めちゃくちゃ後悔しました。

 

── 過ごし方にも変化があったのでしょうか?

 

紺野さん:図書館に行くようになりました。中卒でも成功している人の本を読んだり、「じゅげむ」をめっちゃ覚えてみたり、家に寿司屋の湯呑みがあったんで、魚へんの漢字を覚えたりしました。制服が着たくて、カラオケ店でバイトも始めました。でも途中から身だしなみに厳しくなって、ギャルはダメってなって、結局は学校の校則違反と同じ理由でクビになっちゃって。バイトしようにも黒髪にしないといけないし、昼間に働くんだったら朝ちゃんと起きなきゃいけないし、もちろん遅刻はできないし。親がよく言っていた「仕事はもっと大変なんだ。学校に通ってる時期が1番いいんだ」の意味がなんとなく分かるようになりました。

 

ギャルってエクステをつけるだけでも当時3万とかかかるし、みんながよく着ていた「ALBA ROSA」の服も買わなきゃいけないし、フル装備すると総額5万以上かかるんですよ。でも、中退した身で親にお金をくれとも言えなくて。ギャルを維持するために、ティッシュ配り、工場で延々と流れてくる手帳に男子用と女子用のシールを貼るバイト、糸を陳列したり布を切り続けたりするバイト、試食販売など、本当にいろいろやりました。

 

── 印象的だったアルバイトはありますか?

 

紺野さん:iPodの箱の蓋の隙間に同じサイズの説明書を一つひとつ手作業で入れるバイトをしたこともあるんですけど、たまにどうしても入らないときがあるんです。説明書をすんなり入れられる特別な器具があるんですけど、それはリーダーにならないと使わせてもらえなくて。どうしてもうまくいかないときにリーダーの元へ行くと、「自分で何とかしようと努力したー?」ってめっちゃ怒られるんですよ(笑)。「努力しました。でも、本当に無理なんです!お願いします」って頼んで器具を借りて、立ちっぱなしで作業して日給をもらって。

 

退学前は「学校にいる暇があったらバイトしたい」が口癖で、親に「そのほうが大変だよ」って言われても「え、意味わかんない。お金稼げるし絶対彼氏できるし楽しいし、仕事するのとか得意だし」って言い返してたんです。でも、働いてみるとすごく大変だしすぐクビになるし、お金ってすぐになくなるんだなということを実感しました。