2度目の卵巣嚢腫が発覚、左耳の突発性難聴も

── 進路を芸能界に決めるまでの流れを教えてください。

 

紺野さん:中退してから、母が毎日嫌味を言ってきてたんですよ。「私たちは片田舎から出てきて、がんばって就職して、あなたたちを授かって、コツコツとお金を貯めてあなたたちを私立に行かせたのに、こんな仕打ちはありますか」とか、「海外旅行にも行かせたくて、修学旅行がゴージャスな高校にしたのに」とか、昼ドラみたいに延々と(笑)。あの手この手で嫌味を言ってきて、むかつきもしましたけど言い返す言葉もなくて、私はただただ「すみませんでした」って言いながら泣いていました。

 

だから、通信制だけは卒業しないといけないと思って、提出が必要なマークシートのレポートは塗り絵みたいな感覚になりながらもやりましたし、月1回のスクーリングにも行っていました。

 

全日制に通う友達は、高3の夏まではめっちゃギャルをやって、夏休み以降はエクステを取って黒髪にして、予備校に通って受験仕様になっていくんですよ。みんな短大とか専門学校とか、地に足がついた進路を選んでいて。そんな周りを見て、私も月1のスクーリングのときに「先生、そろそろ進路とか…」って相談してみたら、「し、し、進路?」みたいな反応で。「あー、ここは卒業を目的とした場所だから、進路とかじゃないんだ。やっぱり私はみんなとは違うんだ」って感じて、また寂しい気持ちになりました。

 

「通信制高校で『先生の犬と遊ぶ』という授業を受けた」ときの紺野さん

そしたらもういろんなことがどうでもよくなってきて。進学にこだわらずに何がやりたいかを考えたら、芸能人になりたいと思うようになったんです。なんか一発逆転できそうだし、「芸能界には伊集院光さんとかもいるじゃん!あの人もそうでしょ!芸能人になるためなら何でもがんばれる気がする!」って思って。そこからいろんな芸能事務所に応募するようになりました。

 

── まずはモデル事務所に入られたんですよね。

 

紺野さん:めっちゃお金払わされたんですけどね(笑)。事務所に応募して落ちていく中で、1個だけ引っかかったところに呼ばれたんですよ。ビルの一室に長机だけが置いてあって、小石田純一さんのような、肩にカーディガンを巻いてる人がいて(笑)。

 

「君は本当にモデルとして輝く。そのためのレッスンをするから」って、登録料ウン十万、レッスン料1回数万、メイクさんとカメラマンさんをつけて撮影する宣材写真代金がウン十万とかで、トータル50万ぐらい払って。

 

レッスン以外の活動は何もなかったんですけど、1度だけ代官山のファッションショーに呼ばれたんです。行ってみたら黒いゴミ袋を上から被って、黒い目隠しをして顔も見えなくて、メイクも要らないような格好で歩くように言われて。体型も身長も性別も見えない状態で歩いて、舞台裏で黒いゴミ袋を取ってみたら、ファッションにはまったく興味がなさそうな、明らかにモデル志望じゃないだろみたいな男性もゴミ袋を取っていて。これは何なん!?ってなって(笑)。「あ、違うんだ。夢にお金を払わされてるんだ」と気がついて、その事務所は辞めたんです。

 

がっかりした気持ちで吉祥寺を歩いていたら、そのタイミングでちょっと説得力がありそうなイケてるおじさんに「モデルやりませんか?」ってまた声をかけられたんですよ。面接に受かったら、写真代や登録料にまた50万円近く払わされて。レッスンも、マンションの一室でポージングの紙を渡されて、「やっといて」って言われて、ただただ鏡を見て自分で練習するみたいな感じで。ここからもフェードアウトしました。

 

── ご病気が再発したのもそのころですか?

 

紺野さん:そうです。常にお腹が膨らんでいて、周りの友達からも「めっちゃお腹出てるよ」って指摘されるようになったんです。ガリガリだったのにお腹だけが大きくて固くて。なんか変だったので婦人科に行ったら、内視鏡を入れた瞬間に先生が「なんだ、これは。右か左か分からないくらい大きな卵巣嚢腫だ」とびっくりしていて。大学病院に紹介状を書いてもらって、すぐに手術することになりました。

 

入院生活でさらに痩せたあと、バイト先に復帰したら、吐き気がやばくて動けなくなって。早退して病院に行ったら、左耳が突発性難聴になっていました。元々ちょっと聞こえづらい気がすることはあったんですけど、疲れていた時期だったので、ストレスもあったと思います。

 

そのころ、芸能界では宇多田ヒカルさんが卵巣嚢腫を、浜崎あゆみさんが難聴を公表していた時期だったので「やっぱり私にもカリスマ的なところがあるのかな」と思うようにして(笑)。心の支えにしていました。

 

PROFILE 紺野ぶるまさん

1986年生まれ、東京都出身。松竹芸能東京養成所を経て、2010年にデビュー。「ABCお笑いグランプリ」や「R-1ぐらんぷり」、「THE W」で決勝進出を果たした。著書に『「中退女子」の生き方~腐った蜜柑が芸人になった話』(廣済堂出版)、『下ネタ論』(竹書房)、『特等席とトマトと満月と』(幻冬舎)がある。2019年に会社員男性と結婚し、現在は1児の母。

 

取材・文/長田莉沙 写真提供/紺野ぶるま