わずか2年のアナウンサー時代。その懸命な姿で視聴者に印象を残し、テレビから姿を消しました。激動のアナウンサー時代を大橋マキさんが振り返ります。(全5回中の1回)

約20年ぶりのバラエティ出演「息子に猛プッシュされて」

── 昨年、約20年ぶりにテレビのバラエティ番組(『踊る!さんま御殿!』)に出演され、話題を呼びました。

 

大橋さん:これまでアロマに関すること以外でのテレビ出演はお断りさせていただいていましたが、じつは今回、息子から「大好きな明石家さんまさんにぜひ会ってきてほしい!」と猛プッシュされまして(笑)。

 

久しぶりにテレビの現場に参加させていただき、アナウンサー時代には見えなかったことに気づかされました。

 

芸人さんをはじめ、出演者の方やスタッフさんなど、いろんな人たちがワンチームとなって笑いを生み出し、番組を作りあげていく。そんなチームの一体感や皆さんの温かさがすごく伝わってきたんです。

 

アナウンサーをしていたときは、求められる役割をこなすのに精いっぱい。いろんなことが客観視できていなかったんだなと気づき、改めて感謝の気持ちが湧きあがりました。いずれなにかのカタチで、恩返ししていきたいなと心から思っています。

 

── アナウンサー時代の皆さんとは、いまも交流があるのですか?

 

大橋さん:じつは先日、アナウンス室の同窓会があったんです。ちょうど息子と田んぼに出ているときに、同期のうっちー(内田恭子さん)から連絡をもらいました。残念ながら、息子の習いごとの都合で参加できなかったのですが、同窓会で私の様子をうっちーが皆さんに伝えてくれたそうです。

 

長らくお会いできていないのに、いまだに気にかけてくださる先輩方や仲間たちの温かさをありがたく感じるとともに、本当に人間関係に恵まれていたのだと実感しました。

大学時代はディベート漬け「アナウンサーになるとは…」

── 大橋さんといえば、親しみやすいキャラクターと飾らない笑顔が印象的でした。そもそもアナウンサーを目指したきっかけはなんだったのでしょうか。

 

大橋さん:取材で見たものや感じたことを自分の言葉で伝えたいという思いがありました。大学時代はESS(English Speaking Society)に在籍し、英語のディベート活動に打ち込んでいて、毎週のように大会で全国各地を遠征していました。

 

おもに国際問題や社会問題をテーマにしていたので、分厚いメガネをかけて大量の書類を持ち歩き、図書館に入り浸っていましたね。

 

アナウンサー時代、取材中の一枚(写真提供:大橋さん)

── アナウンサーの方はミスキャンパス出身者も多いので、勝手ながら、キラキラ華やかなキャンパスライフを送っているイメージを抱いていました(笑)。

 

大橋さん:たしかに、アナウンサーに採用されるのは帰国子女の方やキレイで華やかな人生を歩いてきた方が多いかもしれませんね。ただ、私はそうした経歴はいっさいなく、学生時代も地味で、アナウンススクールにも通っていませんでした。

 

もともと報道がやりたくて記者職を志望していたのですが、マスコミの採用試験で一番早かったのがフジテレビのアナウンス職だったんです。

 

その後、放送局の総合職や出版社の編集職なども受ける予定でしたが、アナウンサーでの採用が決まり、迷った末、入社しました。じつは、希望を出せば、記者職に異動できると思い込んでいたんです。学生の甘さがあったと思います。

仮眠室で寝泊まり「体重が30キロ台」まで落ちたことも

── 入社翌年には「プロ野球ニュース」のキャスターに抜てきされ、バラエティでも大活躍されました。

 

大橋さん:いま考えれば、すべての経験が糧となり、その延長線上で、やりたい仕事ができるかもしれないと思えるのですが、当時は忙しくて何がなんだかわからないまま、目の前のことに対応するのが精いっぱいでした。

 

とはいえ、経験もスキルもたらず、失敗続きで落ち込んでばかり。それに加えて、自分の希望からどんどん離れた方向に進んでいるように感じ、どうしたらいいかわからず、無力感にさいなまれていました。

 

じつは、同期のうっちーとは、採用試験のときからずっと一緒だったんです。周りにはアナウンススクールや放送研究会出身者が多いなか、2人ともアナウンス経験ゼロからのスタートという点も同じでした。

 

ただ、入社後すぐに彼女は報道に配属され、夕方のニュースやリポートの仕事などをしていました。多忙でなかなか会えませんでしたが、たまに顔を合わせると、お互いの苦労話を打ち明けあっていたのは、いい思い出です。

 

アナウンサー時代、プロ野球のキャンプ取材中のひとコマ(写真提供:大橋さん)

── 同期の存在は心強いですよね。ただ、仲間であると同時に、よきライバルでもあります。複雑な心境になることはなかったですか? 

 

大橋さん:あまりに忙しすぎて、そうした気持ちを抱く余裕すらなかったんです。報道の現場は、苦労して長時間カメラを回しても、オンエアではものすごく短くカットされるなど、とても地道で大変な現場だと聞いていました。

 

そのなかで懸命に頑張っている姿を見ていたので、「状況は違うけれど、お互いに頑張ろうね!」という感じで励まし合っていました。彼女はいまもテレビで活躍していて、すごいなと思います。

 

当時は、まだ働き方改革なんて無縁の時代。少しでも睡眠時間を確保するために、当時、アナウンス室にあった仮眠室に泊まることも少なくありませんでした。

 

食事もゆっくりとれず、パンをかじりながら廊下を走っていたことも。もともと体が小さいのに、どんどんやせていくので体重は30㎏台になってしまいました。

 

アナウンサーは、たくさんのスタッフさんが力を尽くして作りあげたものを、最終的に視聴者にお届けする責任を背負ってるので、全力を尽くさなければというプレッシャーがつねにあり、ずっと気を張った状態でしたね。

 

2年間という短い在籍期間でしたが、いろいろなジャンルのお仕事を経験させていただきました。そのなかで気づかされたことがたくさんあって、それが数十年経ったいまにつながっていたりします。振り返ると、ムダな経験というのはひとつもなく、すべてが貴重で大切な時間だったんだなと感じます。

 

PROFILE 大橋マキさん

おおはし・まき。1976年生まれ、神奈川県出身。聖心女子大学卒業後、1999年にフジテレビにアナウンサーとして入社。バラエティや『プロ野球ニュース』などを担当。2001年に退職後、イギリスに留学して植物療法を学ぶ。アロマセラピストとして6年間の病院勤務を経て、現在は、アロマによる空間演出、デザインを手掛けるほか、福祉、地域振興、企業支援に至るまで幅広く活躍。2018年に、「一般社団法人はっぷ」を立ち上げ、神奈川・葉山で自然と共にある暮らしを通し、地域の繋がりづくりを実践している。2児の母。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/大橋マキ