「ママ〜、ママ〜」と叫ぶ娘の乗った車がかすんで行って…、と別れの場面を振り返ってくれた島田珠代さん。離婚で娘の親権を手放した葛藤。「家族」でいることのありがたさについて、考えさせられました。(全4回中の3回)

「泣き叫ぶ娘」を見て身の切れるような思いでした

── 余命5年と宣告されたご主人の希望で離婚。ご主人と3歳の娘さんは名古屋、島田さんは大阪、と離れて暮らすことになりました。娘さんは事態を理解していたのでしょうか?

 

島田さん:夫が娘を連れて名古屋に行く日、朝9時ごろに車に乗せられた娘は事情を理解していませんでしたが、私はずっと泣いてましたね。でも、荷物をまとめたりする気配で、娘も何が起きるかはなんとなく察していたようです。

 

車が出発したら、娘が後部座席のガラスにへばりついて、ずっと「ママー!ママー!」って叫んでるんです。あのときのことを思い出すと…もう。

 

島田珠代

できるなら車を追いかけたかったし、身の切られるような思いでした。車と娘がどんどん遠ざかって小さくなっていくんですよね、ドラマでしか見たことない光景でした。

 

その日も、新喜劇の舞台がありました。つらくても舞台に出なければならない。しかも、すごく笑わせないといけない役でした。うわー、芸人ってすごい商売だなぁと。

 

でも、そういうときこそ、すごくウケたりするものですから、本当におかしな、おかしな商売だなぁって思いました。

 

── 3歳の娘さんを手放すのは、よほどの覚悟だと思います。

 

島田さん:母親が子どもを手放すと、世の中は母親に非があると想像するかもしれませんけど、簡単に相手に渡したなんて、思わないでほしいです。

 

夫は薬のせいなのか、興奮していて、「どうしても娘と別はイヤだ、名古屋に戻りたい」って。これ以上争ってもめるのも…。

 

向こうに迷惑かけてはいけないですし、いまでも悪く言うつもりはありません。本当にものすごくいろいろあって、私たち親子の場合は別々に暮らすことになりました。

娘に会うために「10年間」名古屋へ通い続けた

── 娘さんと離れて暮らす間、どんな生活を送ったのですか?

 

島田さん:約束どおり、2週間に一度は名古屋まで会いに行きました。でも別れ際は、広い名古屋駅構内に響き渡るくらい娘が「いやー」っ」泣き叫ぶので、会いに行けば行くほどつらい思いをしました。

 

本当に、娘にはだいぶ寂しい思いをさせました。あとから聞いたら、名古屋の保育園の砂場でいつも「どうしてママはいないの?」って言っていたそうです。

 

島田珠代

── その生活は何年間くらい続いたのですか?

 

島田さん:10年間です。夫は生前「僕が生きている限り、娘が20歳になっても30歳になっても名古屋からは出さない」と言っていました。

 

末期の直腸がんで余命5年と言われていましたが、彼は11年間生きたんです。娘の一番かわいい時期を独占できて幸せだっただろうし、生きがいになったでしょう。

 

── ご主人の病状は?

 

島田さん:夫の病状は徐々に悪くなりました。生活がおぼつかないので、夫の両親が一緒に住むことになったのですが、その両親も夫より先にたて続けに亡くなりました。

 

やがて、遊びたい盛りの小学3年生の娘が、ご飯を作ったり、洗濯したりしていると聞いて、うちの母が名古屋に行って同居しました。

 

もともと母は、大阪では夫と折り合いが悪かったこともあり、大阪と名古屋で別居・離婚したんです。だから私、「お母さんが名古屋に行ったら、また嫌な思いするよ」って心配したんです。

 

すると母が「私は孫もかわいいけど、子どもが一番かわいい。子どもがかわいいから、孫もかわいがれる。あなたは大阪にいて新喜劇で仕事をして、その位置を守りなさい。私はそのためならなんぼでも我慢できるから」と。

 

娘が小3〜小6の3年間、夫が亡くなるまで母が住み込んで、ふたりを世話してくれました。あとから聞いたら、ケンカしたりいろいろあったそうですが、最後は母が私の夫を看取る感じでした。

親権を取り戻すために家庭裁判所に通った日々

── 珠代さんのお母さんの愛情と責任感、すごいですね。ご主人が亡くなられてからは?

 

島田さん:がんばってくれた母には本当に感謝しています。もともと離婚時に、娘が中学生になったら、だれと住むかを選ぶことができる、と書類上では決めていました。

 

書類をなぞるように、娘が小6の12月に夫が亡くなったので、小学校を卒業したら中学校から大阪で私と一緒に住もうということになりました。

 

── お嬢さんが大阪に戻ってくることになったんですね。

 

島田さん:でも、その手続きがすごく大変でした。というのも、娘の親権をとり戻すために名古屋の家庭裁判所に何十回も通わないといけなかったんです。

 

「娘さんにどう接してきましたか?」「仕事には何時に行き、何時に戻りますか?」などすごく細かいことを聞かれました。

 

母や娘にも個別の聞き取り調査が何度もあり、「お母さんから暴力はなかったですか?」など生活態度を細かく確認されました。このやりとりを経てようやく同居が認められ、小学校を卒業した3月に、娘と大阪で暮らしはじめました。

 

PROFILE 島田珠代さん

大阪府出身。高校2年生の時、『4時ですよ〜だ』の素人参加コーナーに出演、17歳で吉本興業に所属。1990年代はじめより吉本新喜劇の代表的女優として注目を浴びる。2008年に長女を出産。2023年芸歴35周年を迎え、なんばグランド花月で初の座長公演を行った。

 

取材・文/岡本聡子 写真提供/島田珠代、吉本興業株式会社