夫が「余命5年です」と告げられた島田珠代さん。まだ、赤ちゃんを迎えたばかりのときでした。やがて、いろんなものが壊れはじめました。(全4回中の2回)
30代で小道具担当の方と結婚、出産、そして
── ダウンタウンMCの伝説的番組『4時ですよ~だ』を見たのをきっかけに吉本入りし、新喜劇の看板女優になった島田さん。30代半ば、プライベートで大きな変化があったそうですね。
島田さん:そのころ、名古屋のドラマの仕事で縁があった小道具担当の方と結婚しました。そろそろ子どもが欲しいと思っていたので、急いで籍を入れて名古屋で暮らし、すぐ娘が生まれたんですけど…。
娘が8か月のときに、夫が健康診断でひっかかり、直腸がんのステージ4と判明したんです。そのとき、夫は31歳くらい。本人が余命宣告を望むので、夫婦で先生に話を聞いたら「余命5年」と言われました。
── 生まれたばかりの赤ちゃんがいるなか、余命5年の宣告は厳しいですね。
島田さん: そのまま温存すると余命が縮まるので、人工肛門にしました。人工肛門では、いままでの名古屋の会社では働けないらしく、家族で大阪に戻って暮らすことにしました。
夫は闘病でメンタルが崩れ「今日もお惣菜ですか?」
── 家族一緒に大阪に戻ってから、闘病生活はどんな感じでしたか?
島田さん:本人が希望したので、大阪で働ける会社を見つけて働いていましたが、夫はもともと名古屋愛が強くて、大阪に慣れることができませんでした。抗がん剤の影響なのか精神的なバランスも崩しがちで、葛藤もあったと思います。
── 闘病しながら、新しい生活や仕事を始めるのは大変だったでしょうね。
島田さん:私は夜も仕事があったので、実の母が泊まり込みで来てくれていました。私が夜中まで稽古があるため、夫と母だけになることも多かったのですが、けっこうふたりがぶつかることがあったらしくて…。
母は老体にむち打って幼児の世話をし、私のかわりに家事を手伝ってくれていたのですが、夫から「今日もお惣菜ですか?」などカチンとくることを言われたとか。
私が仕事から帰ると、夫と母からいろいろ言われて板挟みに。私が夫とぶつかることもあったし、少しずついろんなものが壊れはじめたんです。いまでもあのときの話をするとやっぱり私、泣いてしまいます。
── いま、客観的に当時をふりかえってどのように感じますか?
島田さん:夫からバーっといろいろ言われても、闘病の影響だと理解して、私がもっと受け入れたり、ひいたりできる懐の広さを持たないといけなかったんだなぁと思います。
でも、私も仕事で疲れていたのでなかなかできませんでした。もっと大人になるべきだったと後悔しています。
「夫婦のケンカを見せたくない」下した決断
── ご主人とぶつかることが増えてからは、どのように?
島田さん:娘が2歳になり、親のケンカを見せるのもよくないと思いはじめました。夫の主治医は名古屋にいるので、「名古屋の会社にもし戻れるなら、離れて暮らしてみる?」と聞いてみたんです。すると夫は、「僕は、娘を名古屋に連れて帰るつもりだし、離婚したい」と。
「いやいや、そんな簡単に娘を連れて行くなんて言わないでよ」って、ずいぶん話し合いをしたんですが、「余命5年の僕から娘をとったら、何のために生きていけばいいのかわからない」と夫に言われて、結局、私が折れました。私、もうなにもかもわからなくなって…。
ほんとにいろいろあって、やむなく娘を手放しました。そんな簡単に決着したわけではないです。なんとか2週間に1回は私が名古屋まで娘に会いに行く約束はとりつけましたが、10年近くそんな生活が続くとは思いませんでした。
PROFILE 島田珠代さん
大阪府出身。高校2年生の時、『4時ですよ〜だ』の素人参加コーナーに出演、17歳で吉本興業に所属。1990年代はじめより吉本新喜劇の代表的女優として注目を浴びる。2008年に長女を出産。2023年芸歴35周年を迎え、なんばグランド花月で初の座長公演を行った。
取材・文/岡本聡子 写真提供/島田珠代、吉本興業株式会社