16歳で歌手デビューを果たし、その後、俳優、演出家など多彩なキャリアを積んできた芳本美代子さん。特にアイドル時代は「3年間休みが取れなかった」というほど多忙を極めたそう。これまでの歩みを振り返りながら、どのようにデビューまでの道を切り拓いてきたのかをお聞きしました。(全3回中の1回)

東京への憧れを胸に15歳で単身上京

── 中学生の頃からオーディションを受けていたとのことですが、当時は芸能界にどのようなイメージや憧れを抱いていたのですか?

 

芳本さん:子どもの頃は、芸能界というよりも「東京への憧れ」を強く持っていました。具体的に芸能界を意識し始めたのは小学校3年生の頃。両親の転勤で、生まれ育った山口から広島に引っ越したのですが、そこで「ちびっこものまね歌合戦」に出場したことがきっかけになったと思います。その大会で優勝し、「広島地区代表」としてテレビに出ました。

 

その後、週1回歌のレッスンに通わせてもらうことになり、中学3年生の頃からオーディションを受けるように。当時の心境としては「歌手になりたい」という希望より、「芸能界に入って大好きな松田聖子さんやシブがき隊に会いたい」という好奇心のほうが勝っていましたね(笑)。

 

「ちびっこのど自慢」出演時。司会の大村崑さんと
「ちびっこのど自慢」出演時。司会の大村崑さんと

── その後、16歳で歌手デビューし、憧れの東京での活動が始まったのですね。

 

芳本さん:オーディションを見ていたテイチクレコードのスタッフの方からスカウトされ、本格的に歌のレッスンが始まりました。その頃には山口に戻っていたのですが、事務所がある福岡まで通いながら練習に励みました。高校1年生の1学期までは山口にいましたが、東京の「芸映」に所属することが決まり、2学期からは東京での生活がスタート。その翌春にアイドル歌手デビューとなりました。

 

中3で「第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテスト」に出場した時の様子
中3で「第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテスト」に出場したときの様子

デビュー後は「記憶にないほど忙しかった」

── 東京での芸能活動が始まって、大変だったことはなんですか?

 

芳本さん:とにかく3年間は休みなく働き、記憶に残っていないくらい忙しい日々でした。当時、3か月に1枚のシングルレコードを発売していたので、常にレコーディングに追われていました。新しい曲に慣れないうちから次の曲の収録が始まってしまう感じで。歌を覚える作業に必死だったように記憶しています。でも若かったから疲れはそこまで感じることはなく、睡眠不足に悩むこともありませんでした。

 

デビュー当時。あどけない表情が印象的
デビュー当時。あどけない表情が印象的

── 学業との両立も大変だったのでは?

 

芳本さん:上京後は、明大附属中野高校の定時制クラスに転入したのですが、なかなか出席することができず…。当時、中村あゆみさんや奥居香(現・岸谷香)さんなど、芸能活動をしていた方も多く通っていて、みんな仕事の合間に学業に励むという感じでした。

 

── デビュー前に憧れていた方々には会えましたか?

 

芳本さん:シブがき隊の皆さんとは、何度か同じ番組に出演させていただきました。私が石川秀美さんの妹分としてお仕事をさせていただいてこともあり、秀美さんと同年代のシブがき隊と同じ番組にキャスティングされることが多かったんだと思います。

 

でも、小さい頃からずーっと憧れていた松田聖子さんにはなかなか会えなかったですね。オーディションのときに一度お会いできたのですが、その後仕事で再会したのが、私が結婚して3年後くらい。ごあいさつ程度で、お話しすることなんてとてもとてもできませんでした。芸能界にいても、なかなか会えないものなんですね(笑)。
 

── 芸能界へのプレッシャーは感じていましたか?

 

芳本さん:プレッシャーはあまり感じていませんでした。新人賞を獲得するため、事務所やレコード会社からのバックアップを受けていましたが、それに対する気負いはなく、自然体で歌えていたように思います。

 

同期デビューの方たちと歌番組でご一緒するときも、ライバル視することなく純粋に応援できていました。歌詞を間違えるなどの失敗はたくさんありましたが、失敗すら楽しめていたんだと思います。

 

とにかく初めてだらけの芸能界。これまで見る側だった番組に出演したり、海外ロケを体験したり、新鮮なことが多く純粋に楽しんでいました。同時に、怒涛のスケジュールをこなす自分を、「よくやれているな」と感心していましたね(笑)。

 

デビューの時のファンクラブの会報では直筆メッセージを添えた
デビュー時のファンクラブの会報では直筆メッセージを添えた

── しばらくは実家に帰ることもできなかったそうですが、ホームシックにはなりませんでしたか?

 

芳本さん:お正月すら帰れなかったのですが、休みがないことにストレスを感じたことはありませんし、ホームシックにかかることもありませんでした。取材や撮影などであちこちに行かせてもらって、本当に楽しかったです。

 

デビュー4年目くらいから、お盆とお正月は帰省できるようになりました。久しぶりに実家に帰ったことで心身ともにリフレッシュでき、「気持ちのリセット」を実感。10代の頃って、自分の中の気持ちの切り替えもきちんとできないくらい若いんですよね。勢いで乗りきってしまう感じ。徐々に「仕事モード」のオン・オフの切り替えができるようになっていきました。

 

PROFILE 芳本美代子さん

女優、歌手。1985年に「白いバスケット・シューズ」で歌手デビュー。「みっちょん」の愛称で親しまれ、1990年には初舞台となるミュージカル『阿国』で演劇新人賞を受賞。その後、舞台や映画、ドラマなどで活躍。現在は大学教授の肩書きも加わり、大阪芸大短期大学部で教鞭をとる。YouTubeチャンネル「みっちょんINポッシブル」ではさまざまなゲストとのトークに加え、生歌、鼻歌なども披露している。

取材・文/佐藤有香 画像提供/芳本美代子