『CanCam』専属モデルなど順調にキャリアを伸ばしていった長谷川理恵さん。しかし、気づけば鉄の鎧を被っているような気持ちになった時期もあると言います。(全3回中の1回)。
20キロのダイエットをしてモデルの世界へ
── 大学のミス・キャンパスに選ばれたことがきっかけでモデルになったそうですね。
長谷川さん:大学生の時に、友だちから「私がインドのサリーの衣装作ってあげるから、ミスコンにそれ着て出てみてよ」と言われて。「なんか楽しそう」という軽い気持ちで出たんですよね。そしたら賞をいただきまして。当時は副賞が海外旅行で、「これももらえるの~!?」なんて喜んだのを覚えています。
当時“女子大生ブーム”ということもあり、『CanCam』で「今年の女子大のミス・キャンパス」といった企画が組まれ、読者モデルとして出させていただいたことがモデルのスタートです。
── 読者モデルとして初登場してからわずか数か月後には専属モデルになりました。
長谷川さん:「運がよかった」感じです。実は高校時代はイギリスで寮生活を送っていたこともあり、モデルという職業すらほとんど知らない状態。それがたまたま、当時の『CanCam』編集長に声をかけていただいたことがきっかけで、あれよあれよという間にこの世界へ。右も左も分からない状態の私を当時の編集部の方に育て上げていただきました。
── 人気雑誌のモデルとして、どのような生活を送っていましたか?
長谷川さん:とにかく体力勝負で過酷でした。撮影が終わったら帰宅し、ちょっと寝て起きて学校へ行ったらまた撮影の日々でした。大学はなんとか卒業しましたが、慌ただしい毎日だったので大学の友人とも次第に疎遠になり、4年生の頃には「早く卒業して一人前のモデルになりたい!」と思っていました。
── モデルと言えば体型管理も求められたかと思いますが、ダイエットもしましたか?
長谷川さん:実はモデルを始めた当初は体重が今より20キロぐらい重くて。背も高いので、とにかく“大きい人”として見られていたと思います(笑)。食べるのが大好きで、自分の体型を気にしたこともありませんでした。それが、モデルになり「もう少し痩せたら素敵に洋服が着こなせるのかな」と思い始めてからはダイエットの日々。知識がなかったので「食べなきゃ痩せる」の一択で、大好きなプリンを一日一個だけ食べるような暮らしをしていました。食べなかったので痩せていきましたが、痩せたというよりもガリガリですね。
── 健康面への影響はありませんでしたか?
長谷川さん:若かったので肌荒れなどはありませんでしたが、身体の中はボロボロでした。通勤、通学の電車の中でも眩暈がして立っていられないほど。当時はいくら痩せても「まだ太ってるんじゃないか…」「もっと痩せなきゃ」と気持ちも追い込まれていました。他のモデルさんと並べば、その気持ちもなおさら。でも、私だけじゃなく当時はどのモデルさんもそんな時期があったんじゃないかと思います。
── 厳しい業界に身を置く一方で、どうやって息抜きしていたのでしょうか。
長谷川さん:撮影が少しでも早く終われば、そのままモデル仲間と夜に遊びに行ったり、買い物もしていました。かけ出しのモデル時代は、いただけるお金はもちろん多くないのですが、次第にカタログなどのお仕事も増え、急に生活面でも潤うようになりました。
── 急に潤うと価値観も変わっていきましたか?
長谷川さん:そうですね…。当時は“ブランド全盛期”の時代だったので、雑誌でも特集がたくさん組まれていました。だから「その看板モデルである私たちは最新アイテムを身につけていなければ!」みたいな気持ちに。もちろん自分が気に入ってその商品を買っていたのですが、完全にブームに煽られていましたし、金銭感覚も完全に麻痺していたと思います。