モデルの稲沢朋子さんは、29歳で離婚を経験し、その翌年には子宮頸がんを患いました。笑顔が印象的で、見る人に元気とHAPPYを与えてくれる稲沢さんが、シングルマザーとしての生活や、闘病生活をどのように過ごしていたのかを振り返っていただきました。(全3回中の2回)
離婚後は父親代わりとしても奮闘「息子とキャッチボールも…」
── シングルマザーとしての生活の中で、大変だったことを教えてください。
稲沢さん:大変だったのは、「男の子の遊びがわからない」ということです。離婚当時、息子は年長さん。とにかくヤンチャで「その高さからジャンプするの!?」なんて、いつもハラハラ、ドキドキ。私自身が女姉妹だったこともあり、想像を絶することの連続でした。
それから、公園で男の子とお父さんがキャッチボールしている様子を見たりすると「私もやらなきゃ!」と思い立って、息子とキャッチボールを始めることもありました。若さでなんとか乗り越えてきましたが、常に「父親代わりとしても頑張らなければ。私がすべての責任を負わなければ」という責任感を強く感じていましたね。
── 娘さんとの関係はいかがでしたか?
稲沢さん:娘は当時からしっかり者で、幼いながらに私を叱ったり励ましたりしてくれていました。親としての威厳はないかもしれませんが、今も昔も、なんでも相談しあえる関係です。二人の子どもたちがいてくれたからこそ、困難があっても「後ろは振り返らず、前を向いていこう」という信念を持ち続けられたのだと思います。
盲腸がきっかけで子宮頸がんが発覚し
── 育児に奮闘するなか、がんが発覚したとのことですが…。
稲沢さん:30歳のときに、医師から「子宮頸がん」と告げられました。ただ、がんが発覚したのは偶然の出来事。ある朝、起き上がれないほどの胃痛に襲われ、救急病院で診てもらったことがきっかけとなりました。胃痛の原因を調べるために、内科や外科など複数の科で調べてもらい、結果的に「盲腸」と診断。そのときに婦人科も受診していたことから、子宮頸がんの発覚につながったのです。
── がんと告げられたときのお気持ちはいかがでしたか?
稲沢さん:「まさか、私が?」という驚きで耳を疑いました。同時に、「死ぬのかな」という大きな不安に襲われました。病状についてネットで調べると、ネガティブな情報ばかりが目についてしまい、どんどん落ち込んでしまって…。
── お子さんには、がんを罹患したことは告げなかったそうですね。
稲沢さん:そうですね。私でさえ受け止めきれないほど「がん」というワードには破壊力があったので、まだ小学校1、2年生の幼い子どもたちを不安にさせたくないという気持ちから伝えませんでした。ただ、私の両親には正直に打ち明けました。
また、子宮の入り口の一部を円錐切除するか、子宮を残したまま治療をするかでも悩んでいました。どちらを選ぶかで入院期間が大きく変わるため、両親にも相談したところ、「あなたが選んだほうで、全面的に協力するよ」と言ってもらえて。すごく心強かったのを覚えています。
悩んだ結果、「可能な限り子どもを産む選択肢を残したい」という思いで、切除せずに1か月の入院で治療する方法を選びました。
── 1か月の入院期間は、どのように過ごしましたか?
稲沢さん:「なるべく家にいる時間と変わらずに過ごしたい」という考え、個室の病室を選び、子どもたちとの時間を多く持てるよう両親に協力を仰ぎました。子どもたちは、小学校が終わると両親とともに病院に来てくれて、私の病室で宿題をして、夕飯を一緒に食べてから帰宅。「今日こんなことあってね」と、子どもたちの日々の出来事を直接聞くことが、私の支えになっていました。
退院してからは、数か月に1度通院して検査を行うなど、経過観察が続きましたが、10年くらい経って、ようやく主治医から「卒業」と言っていただけました。現在は年に1回の定期検診を受けています。
がん経験がもたらした健康面でのマインドチェンジ
── お子さんには、いつ頃打ち明けたのでしょうか?
稲沢さん:モデルとしての活動を始めてからです。メディアなどで、がんを経験した話をする機会も増えてきたので、そのタイミングで話しました。ただ、子どもたちは薄々気づいていたのか、特に驚いたようには感じませんでした。
── がんの経験は、稲沢さんのマインドをどのように変えましたか?
稲沢さん:「誰にいつ、何があってもおかしくない」という考えを持つようになりました。子宮頸がんの原因とされているヒトパピローマウイルス(HPV)は、ワクチンを接種することで感染のリスクを低くできると言われています。
また、罹患した人でも再度HPVに感染する可能性があります。わが家では、娘と話し合って親子でワクチン接種をすることを決断し、一緒に病院に行きました。
20代の頃は、仕事や育児に必死で「今、大きな病気になったら?」と考える余裕がない人も多いと思います。でも、「若いから大丈夫」と過信せず、定期検診を受けるなど、自分の健康管理を後回しにしないことが大切だと考えています。
PROFILE 稲沢朋子さん
38歳で雑誌『STORY』の読者モデルとしてデビューした後、専属モデルへ。42歳にはカバーモデルに抜擢され、40号分の表紙を勤める。47歳には本格的に俳優としてデビューし、キャリアの幅を広げる。
取材・文/佐藤有香 画像提供/稲沢朋子