華やかなでヘルシーな笑顔とおしゃれな着こなしで、幅広い世代の女性から支持されているモデルの稲沢朋子さん。読者モデルとして芸能界へと足を踏み入れたのは、38歳のときでした。10代の頃からスカウトを受けてきた稲沢さんに、モデルとしては遅咲きのスタートを切った理由と、当時の思いについて伺いました。(全3回中の1回)
離婚経験がマインドの変化につながった
── モデルとしてデビューしたきっかけと経緯について教えてください。
稲沢さん:雑誌『STORY』のライターさんから声をかけられたのがきっかけでした。都内で友人と食事をしていたときに、「読者モデルを探している」と名刺をいただいたんです。
後日改めて連絡をいただき、モデルとしての活動が始まりました。
── 以前からモデルの仕事に興味はあったのでしょうか?
稲沢さん:実はあまり興味がなかったんです。10代の頃から「モデルになりませんか」というお話はいただいていたのですが、当時の私にとって、雑誌は「読むもの」という位置づけ。オファーをもらっても、お断りしていたんです。いち読者として誌面に登場しているモデルさんたちの着こなしを見るのが楽しみで、それ以上は求めていなかったのだと思います。
しかし、大人になるにつれて「新しいことがあるならチャレンジしないと、人生おもしろくないな」と考えるように。29歳での離婚経験も、マインドの変化につながったように思います。
『STORY』のモデルとしてのオファーをいただいたのは、子どもたちが中学生の頃。親の手を離れはじめ、自分たちの世界を築きつつある年齢だったこともあり、「私は私の世界を築いていこう」という気持ちへとシフトしていきました。同時に、「私で役に立てることがあればやってみよう」という気持ちにもなれたように記憶しています。
── モデルとしての活動や、撮影現場での心境はいかがでしたか?
稲沢さん:日々、学びと気づきの連続でした。撮影現場で一緒になるモデルさんのなかには、10代の頃からモデルとして活躍されてきた方も多く、「すごいな」「こんなふうにポーズをつくるんだな」と、現場で見ながら学ばせてもらっていました。
また、「この角度でポーズをつくると、服がきれいに見えないな」など、撮影した画像を画面越しにチェックしたときに気づくことも多くありました。とにかく、なんとかこの業界でキャリアを積んでいこうと必死でした。
──「モデルの仕事を続けていこう」と決意した瞬間はありましたか?
稲沢さん:気持ちが徐々に固まっていった感じです。撮影の場数を踏んでいくと、稀に「120%の出来栄え!」という瞬間があるんです。そんなときは現場のスタッフさんたちと一緒になって喜びあったりして。大変なことも多いですが、達成感をみんなで共有するたびに、「楽しい!やめられない!」という気持ちが募っていきました。
「ベテランじゃない私」が42歳でカバーモデルに抜擢
── 42歳で初めて表紙を飾るカバーモデルに抜擢されましたね。カメラの前に立った時の心境はいかがでしたか?
稲沢さん:新鮮さと緊張があいまった複雑な気持ちでした。表紙を飾った最初の号を見返すたび、「笑ってはいるけどかなり緊張しているな」と感じます(笑)。
カバーの撮影では「目線はカメラ」が前提なので、「どれだけ目線で語れるか」が求められます。また、雑誌で最も目立つ場所に載るため、「自分の表現次第で、雑誌の売上が左右する」という重圧と責任が常につきまとっていて…。「なぜ私がカバーに選ばれたのだろう」と思い悩み、思うように笑えないことも少なくありませんでした。
── そんな不安と緊張をどのように乗り越えたのでしょうか。
稲沢さん:あるカメラマンさんからかけられたひと言が、マインドを切り替えるきっかけになったんです。
「ベテランじゃない稲沢さんが選ばれたということは、素人ながら純粋な部分があるから。それはあなたにしか表現できないことじゃないの」
こう言われたとき、「私にしかできないことってこれか!」と光が見えたように思いました。以降は、ベテランさんたちに追いつこうと必死になるのではなく、「今の私にできる新鮮さを表現しよう」という考えで、リラックスしてカメラの前に立つことができるようになりました。
年度末に、「また来年度もよろしく」と言われるたび、カバーモデルとしての評価をいただいた気分になり、「無事に務められたんだな」と安堵することができました。
モデルの朝は想像以上に早かった!家事は家族で分担に
── モデル業を始めたことで、生活にはどのような変化がありましたか?
稲沢さん:モデルの仕事は朝が早く、始発で家を出るのが当たり前の毎日になりました。子どもたちを「行ってらっしゃい」と見送ることができなくなり、夜のうちに翌日のお弁当を用意して、置き手紙とともに出かけるのが日課に。
家事については、子どもたちもある程度できる年齢だったので、掃除やゴミ出しなどをみんなで分担。また、目立つところにカレンダーを貼り、全員のスケジュールを把握しながら、「全員でご飯を食べる時間」を意識的につくるようにしました。いつでも全員がそろうことが難しくなったことで、よりいっそう、家族のコミュニケーションを濃く取れるように変化したと思います。
── モデルの仕事について、お子さんたちの反応はいかがでしたか?
稲沢さん:モデルとしての活動を始める前、子どもたちに相談したところ、「いいじゃん!やってみなよ!」と背中を押してくれました。その後も、「大丈夫?ちゃんと仕事できてる?」なんて心配してくれて。ちょっとコンビニに出かけるときも、「ちゃんとした服に着替えて行って!」なんて指摘されることも(笑)。「見られている立場」という意識は、私よりも子どもたちのほうがしっかり持っていたように思います。
PROFILE 稲沢朋子さん
38歳で雑誌『STORY』の読者モデルとしてデビューした後、専属モデルへ。42歳にはカバーモデルに抜擢され、40号分の表紙を務める。47歳には本格的に俳優としてデビューし、キャリアの幅を広げる。
取材・文/佐藤有香 画像提供/稲沢朋子