ハンドモデルとして日米で200本以上のCMや広告に出演してきた永瀬まりさん。持病の潰瘍性大腸炎の悪化を機に、ワークライフバランスを見直し、現在はシアトルで夫婦そろって2歳の息子さんの子育てに励んでいます。(全4回中の4回)

アメリカで出産「パパを“当事者”として巻き込む環境ができている」

── 2021年に第一子となる息子さんを出産されました。妊娠から出産まではどのようなお気持ちで過ごしていたのでしょう?

 

永瀬さん:もちろんうれしい気持ちはありましたが、不安のほうが圧倒的に大きかったですね。治療のために薬を飲み続けていましたし、身体も強いほうではなかったので、お医者さんから「大丈夫だよ」と言われても心配な気持ちはなかなか消えませんでした。産婦人科や消化器内科の先生たちと相談して、何とか無事に出産を迎えることができました。

 

── パーツモデルとしてのキャリアが一時的に途切れることにも不安はありましたか?

 

永瀬さん:もちろん寂しさはありましたが、逆に自分のペースで離れることができたのは、いいタイミングだったのかなと思います。

 

産休中は陶芸教室に通ったり、海に遊びに行ったり。普段だと手荒れや日焼けを気にしてなかなかできないことですが、「やれるときにやっちゃえ!」とエンジョイしていました。

 

── アメリカと日本では出産事情もだいぶ異なると聞いていますが、永瀬さん自身はいかがでしたか?

 

永瀬さん:アメリカは妊婦の権利がとても強いと感じています。たとえば夫が出産に立ち会うのが当たり前なんです。夫もつきっきりで看護師さんの指示に従い、私の姿勢を変えたり、陣痛のカウントダウンをしたりと忙しく働いていました。

 

出産時は、看護師さんと夫に脚を持ち上げてもらいながら産むのがアメリカのスタイルでした。そしていざ赤ちゃんが生まれたら、パパの初仕事のへその緒のカットが待っています。

 

妊娠、出産をするのはどうしても女性になりますが、アメリカではパパを「当事者」として巻き込んでいく構造がしっかりできているんだなと感心しました。

 

永瀬さんの美しい手をかじる息子さん。とても愛らしい姿にほっこりします!

初めての育児、ふたりで乗り越えたからこそ絆が深まった

── パートナーとともに人生の大切な局面を迎えられるのは素敵なことですね!ただ、産後はなかなか大変だったとか…。

 

永瀬さん:シアトルは出産して24時間以内に退院しなければいけないんです。とりあえず授乳の仕方の説明は受けたのですが、身体も戻っていないし、頭もぼーっとしていてまったく入ってこなくて。

 

車椅子に乗せられて退院したものの、自宅で息子が泣いていても「なんでこの子は泣き止まないの?」と何もわからない状態でした。

 

── 大変ですね…。ではどのようにして授乳や沐浴の仕方を身につけていくのでしょう?

 

アメリカでは「ドゥーラ」という育児の専門家を雇うシステムがあります。私たちも退院翌日から日本人のベテランのドゥーラさんを呼びました。私は産後のホルモンバランスの変化からか、どうしようもなく気持ちが落ち込んでしまって、ドゥーラさんが来たときにワーッと泣いてしまったんです。

 

でも、ドゥーラさんが定期的に来てくれたおかげで、子どもの状態とかもいろいろ教えてもらえて、母親の代わりのように助けてもらいました。夫が長期で育休を取れたのも心強かったですね。周りに頼れる親族がいないことは心細かったのですが、ふたりで助け合いながら乗り越えてきたからこそ、夫婦の絆は深まったのかなと思います。

 

永瀬まりと息子
永瀬さんと息子の「つんつん」くん。やんちゃぶりに励まされながら生活しているのだそう

育児で気づいた「ハンドケアって幸せなことなんだ」

── 子育て中はどうしても手に負担がかかりますが、お仕事との両立についてはどのように考えていたのでしょう?

 

永瀬さん:急いで仕事に復帰しようという考えはなかったので、しばらくは育児に専念しようと割りきっていました。その期間は手のケアなんてほとんどできませんでした。もう見せられないような状態で…(笑)。ハンドケアができるって幸せなことだし、贅沢なことだったのだなと気づきましたね。

 

── ハンドモデルの仕事に復帰したのはいつ頃からだったのでしょうか?

 

永瀬さん:基本的にシアトルでの撮影はなく、仕事に復帰するとしたら、ニューヨークか東京に移動しなければいけないので、赤ちゃんがいると現実的ではありませんでした。コロナ禍も重なったので、本格的に復帰したのは産後1年が経ってからだと思います。

 

── 手を元の状態まで戻すのは大変ではありませんでしたか?

 

永瀬さん:息子と公園に行くときは絶対に日焼けしないように黒い革手袋を着けたり…。良くも悪くも完璧主義なので、育児をしていても「これによって手が…」とか「現場でがっかりされたら」とかいろいろ考えて不安になっていました。いちからやり直しでしたし、積み重ねの大切さを改めて感じましたね。

 

永瀬まりと息子
息子さんを抱えて笑顔を見せる永瀬さん。ひとりの人間として「人生をポジティブに楽しむ姿を見せたい」と言います

「仕事を失ったら何もない」という恐怖心が消えた

── お子さんが生まれたことで仕事への向き合い方はどのように変わりましたか?

 

永瀬さん:帰れる場所があるのはいいなって。これまでは大事なものが「仕事」しかなかったので、それを失ったら何もなくなってしまうという恐怖心がありました。でも、今は家族との生活が最優先なので、むしろ仕事も前よりプレッシャーなく楽しめるようになりました。

 

何がなんでもしがみつかなきゃ…という気持ちはなくなったので、肩の力を抜いて向き合えるようになったと思います。

 

── Instagramには息子さんとの日常をたくさん投稿されていますね。どんなふうに育ってほしいと思っていますか?

 

永瀬さん:人に愛されるような、明るく自由でハッピーな子に育ってほしいですね。シアトルは教育熱心な土地のようで、幼い頃から外国人のシッターさんを雇って、自分たちの言語と英語のほかに第3言語まで話せるような環境をつくっている家庭も少なくありません。でも、私たちはそこまで教育というよりは、本人が好きなことを自由にやらせて、それをサポートできたらと思っています。

 

── 息子さんが今「好きなこと」は何でしょう?

 

永瀬さん:息子はドミノのYouTubeを見るのが好きなんです。それも、おじさんがドミノを作って並べていくような動画をずーっと見ていたり。夫が理系なのでそのあたりを引き継いでいるのかな。私にはない感覚ですね(笑)。

 

── 息子さんにはどんな姿を見せていきたいと思っていますか?

 

永瀬さん:私が家庭で意識しているのは、夫との関係を何よりも大切にすること、そして私自身の人生をエンジョイしている姿を見てもらうことです。

 

私たち夫婦が大人になっても楽しく過ごしている姿は、きっと息子にとって人生のインスピレーションになると信じています。

 

PLOFILE 永瀬まりさん

1989年生まれ。埼玉県出身。19歳でハンドモデルを始め、日本ではニベア花王「アトリックス」など100本以上のCMや広告に起用された。2016年に渡米し、わずか半年でTiffany&Co.のワールドキャンペーンに抜てき。ニューヨークを拠点に、ハイブランドの広告や世界的なファッション誌などに数多く出演している。現在はシアトルで夫と2歳の長男と3人暮らし。

 

取材・文/荘司結有 写真提供/永瀬まり、サトルジャパン