ニューヨークを拠点にハンドモデルとして活躍する永瀬まりさん。日本で100本以上のCMや広告に出演した後、27歳で単身渡米し、わずか半年で「Tiffany&Co.」のワールドキャンペーンに抜てきされました。順調にキャリアの階段を上っていた永瀬さんでしたが、それゆえの悩みを抱えていたそうです。(全4回中の2回)

デビュー1年で目標としていたCMに出演

── 永瀬さんは19歳でハンドモデルとしてデビューしたのち、100本以上のCMや広告に起用される“売れっ子”となりました。これまでのキャリアで、転機となったお仕事はあったのでしょうか?

 

永瀬さん:20歳のときに出演した、ニベア花王さんの「アトリックス」のCMですね。そこで顔と名前を出していただけたことが大きなきっかけとなり、テレビ出演や取材も増えて、お仕事のオファーもどんどん入ってくるようになりました。そこが私のハンドモデル人生のスタートと言ってもいいくらいの転機でしたね。

 

ただ、うれしさと同時にずっと目標にしていた仕事にたった一年でたどり着いてしまって、変な言い方ですが、追いかけるものがなくなってしまったんです。やはり業界では“ハンドモデルの頂点”ともいわれるCMだったので、いきなり追われる立場になって焦りみたいなものが生まれて。当時は「この先これ以上のチャンスはないだろう」と思っていたし、これからは現状維持できるかの勝負なんだ、と追い詰められるような気持ちになっていました。

 

永瀬まり
永瀬さんはハンドモデルとしてジュエリーやスマートフォンの広告に起用されてきました

── 予想より早く目標を達成したがゆえの葛藤があったのですね。永瀬さんはその後、単身ニューヨークへと渡りますが、海外進出を目指した理由もそのあたりにあるのでしょうか?

 

永瀬さん:そうですね。もちろん日本のキャリアの頂点とも言えるお仕事を叶えたことで、オファーの数が増えていったり、バラエティ番組に出させてもらったりとか、いろんな目標を達成することができました。ただその一方で、国内だと次の大きな目標を見つけるのが難しいかなって思っていて。

 

当時の私には、トップを走り続けるためには「現状維持」をしているだけではダメだという気持ちがありました。周りのライバルも時代もどんどん変わっていくので、私も常にその先を走り続けていなければいけないというプレッシャーがあったんです。

 

そんなときに、日本でニューヨークのトップフォトグラファーの方とお仕事する機会に恵まれました。撮影が終わった後に「君は世界の第一線で戦えるから挑戦したほうがいい」って言ってもらえて。そのときに海外という道がパッと開けて、反射的に「行きます!」と答えていました。

 

永瀬まり
日本のパーツモデル界を飛び出し、27歳で単身ニューヨークに渡った永瀬さん

「現場の責任を押しつけられ…」単身渡米でぶつかった言語の壁

── 単身渡米するにあたり、現地での事務所探しなども自分で進めていたのでしょうか?

 

永瀬さん:当時はハンドモデルとして渡米した前例がなかったので、まずはどのビザを取ればいいのか…というところからでした。結論から言うと、私はビザの取得に2年もかかったんです。本格的にニューヨークに拠点を移したのは27歳のころでした。

 

ビザを申請して待つ間に、Instagramのアカウントを立ち上げて、現地のフォトグラファーやネイリストに「今度ニューヨークに行くからテストシューティングをしてほしい」と、ひとりひとりにダイレクトメッセージを送り続けました。それを重ねていくうちに何人かのアーティストの方が、後に所属する事務所の社長に「日本から来るマリっていうモデルがいるよ」と推薦してくれて。それもあって、事務所への所属はスムーズに決まりましたね。

 

── ニューヨークでは言語や文化のギャップを感じることもあったのではないでしょうか?

 

永瀬さん:渡米前にマンツーマンの英会話教室には通っていたのですが、それでも何とか挨拶できるくらいにしかならなくて…(笑)。でも、とりあえず行ってみたら、事前にいろんな人と知り合っていたのですぐに仕事が入ってきたんです。和やかに終わる現場がほとんどだったのですが、ある仕事のときに撮影チームのミスですごく遅れたことがあって…。

 

アメリカは現場のタイムスケジュールが遅れることにとてもシビアなんです。そのチームの責任を、なぜか言葉のわからない私になすりつけられて…。今までクレームを受けたことがなかったので、本当に悔しくて、号泣しながら家に帰りました。

 

永瀬まり
美しい手指と繊細な表現力を武器に、ニューヨークでも様々な仕事を掴んできました

── それはつらいですね…。日米でハンドモデルに求められるものも異なるのでしょうか?

 

永瀬さん:日本では「完璧」が求められる傾向にあるので、少しでも指を怪我したり、肌を日焼けしたりしないようにと、とても気をつけていたんです。でも、アメリカのハンドモデルは手に怪我をしている人もいますし、痩せていても太っていても関係ない。

 

たとえば日本だと除毛や脱毛が当たり前のような雰囲気ですが、アメリカでは「指の毛をそって」とモデルに言うのは権利侵害になってしまいます。そういう面では、モデルの地位や権利がすごく強いのだなと感じました。

 

永瀬まり
ハンドモデルとして最高峰の仕事である「Tiffany&Co.」のワールドキャンペーンに抜てき!

── ニューヨークに渡って、ターニングポイントとなったお仕事はありましたか?

 

永瀬さん:それははっきりしていて、ティファニーのワールドキャンペーンですね。そのお仕事が「名刺代わり」になって、そこからどんどんオファーが入るようになりました。ただ、その直後も燃え尽き症候群といいますか、最終目標に早くたどり着いてしまったがゆえの苦悩というものが始まるのですが…。でも、夢に見ていたお仕事に選ばれたことは、本当にうれしかったですね。

 

PLOFILE 永瀬まりさん

1989年生まれ。埼玉県出身。19歳でハンドモデルを始め、日本ではニベア花王「アトリックス」など100本以上のCMや広告に起用された。2016年に渡米し、わずか半年でTiffany&Co.のワールドキャンペーンに抜てき。ニューヨークを拠点に、ハイブランドの広告や世界的なファッション誌などに数多く出演している。現在はシアトルで夫と2歳の長男と3人暮らし。

 

取材・文/荘司結有 写真提供/永瀬まり、サトルジャパン