歌手・森山良子の娘であり、親戚にはミュージシャン・ムッシュかまやつがいる小木奈歩さん。固定観念に縛られない大人たちに囲まれて育った奈歩さんは、お笑いコンビ・おぎやはぎの小木博明さんと結婚しました。彼女の家族と自身の今後について聞きました。(全4回中の4回)

タトゥーびっしりの友達を見た祖父母の反応

── 森山家は、どんな教育方針でしたか?

 

小木さん:母は仕事で飛び回っていたので、子どもの頃は祖父母と一緒に過ごすことが多かったです。わが家は子どもの頃から人の出入りが多く、私もよく友だちを家に呼んでいました。

 

ただ、趣味がロックやパンクだったので、友達もタトゥーがびっしり入っていたり、服装もかなり個性的な見た目の子が多かったんです。おそらく母や祖父母も心配だったと思うのですが、私が連れてくる友達に偏見を持たず、オープンにあたたかく迎え入れてくれたことが、ありがたかったですね。

 

── お付き合いをとがめられたり、ということもいっさいなく?


小木さん:まったくなかったです。正直びっくりしたとは思いますが、否定的なことを言われたり、反対されたことは一度もありません。ただ、私自身、誤解されないように、友達がどんな子なのかをちゃんと説明したり、夜遊びにしても、ライブハウスやクラブに親を連れていき、「こういうところで遊んでいるよ」ということを見せ、隠しごとをしないようにして、不安を払拭する努力はしていました。

 

子どもの頃からロックやパンクが好きだったという奈歩さん(20代前半ごろ)

「俺とお前は似ている」心強い存在だったおじさん

── 音楽に興味を持ち、現在も関わり続けていらっしゃるのは、やはりお母さまの影響が大きいのでしょうか?

 

小木さん:それもあると思いますが、どちらかといえば、ムッシュ(かまやつ)の影響が大きいかもしれません。昔から親戚のなかでも気の合うおじさんで、私のことを「俺とお前は似ている」と可愛がってくれ、とても心強い存在でした。ご存じの通り、変わった風貌でしたが(笑)、とても陽気で粋な人で、私がティーンエイジャーの頃から、いろいろと夜遊びにも連れ出してくれたんですよ。

 

── 夜遊びといいますと?

 

小木さん:ライブや食事などにもよく連れていってくれましたし、レコードや映画、本がたくさん置いてある大人の隠れ家のようなアトリエに呼んでもらうこともありました。

 

ムッシュは感覚がユニークで、いたずら好き。あるとき、「今日は可愛い格好で来るように」と言われ、女の子っぽい格好で一緒にライブに出かけたところ、ムッシュが自分の友達に「こいつ、俺のダチ!」と紹介してくれて(笑)。当時ムッシュは60歳になる前くらいでしたが、「俺が10代の女の子とデートしていると思われたら面白いだろ?(笑)」と。

 

── さすがムッシュ(笑)。多感な時期にフラットにかかわってくれる大人が身近にいるというのは、心強いですよね。

 

小木さん:そうでしたね。そして、やはりおじですから、夜遊びに連れ出しても、時間になると必ず家まで送り届けてくれます(笑)。ムッシュと過ごす時間は、私にとって居心地が良く、すごく面白くて刺激的な時間でした。

 

「心強い存在だった」おじのムッシュかまやつさんと

「インスタ映えはするけど…」夫の本音に母は

── お母さまの森山良子さんと夫の小木さんは、言いたいことを言い合える、とても素敵な関係ですね。2人をどう見ていますか?

 

小木さん:すごく仲がよくていい関係ですよ。うらやましくなるくらい(笑)。性格もとても合っているみたいで、家でもよく2人で盛り上がって話しています。

 

じつは夫はああ見えて、私以上に母のことを気づかってくれるんです。母もそれをよくわかっているから、すごく頼りにしていて、なにかあると、「ねえねえ、小木~」と相談しています。

 

── メディアで披露されているディスり合いも、掛け合い漫才のように相性がいいです(笑)。ああいった会話が成立するのも、信頼関係があってこそですね。

 

小木さん:見ていると本当に面白いです。母がインスタにたくさん料理を載せるのを見て、彼が「すごくインスタ映えはするんだけどさ、味が厳しいんだよな~」と本人の目の前で言ったり。母は爆笑してましたね。チリビーンズを作ったときも、「良子さん、これ映画で観たことありますよ」と彼が言うので、母がうれしそうにしたのもつかの間、「アメリカの刑務所の飯ですよね」と(笑)。

 

母は感覚がすごく若いんです。年齢を考えると、おばあちゃんですが、おばあちゃん用の話ではなく、なんでも本音でポンポン話せるので、夫とも合う。私たちの友達を呼んで一緒に遊んだりすることも普通にあります。

 

祖母、母、娘との4世代カット!

── 常識に縛られず、フラットな目線で、なにごとも「面白い」と捉えて物事を楽しむ。そんな森山家の方針が、奈歩さんにも引き継がれていると感じます。

 

小木さん:うちの家族はみんなそうですね。なかでも母が一番楽観的かな(笑)。子どもの頃は、母のことを「この人、本当に子どもみたいだな」と思っていました。自由で無邪気であんまり頼りにならない(笑)。ただ、祖父母もいたから、何もたりない感じはありませんでしたけれど。

 

モノの見方ひとつで、世界の見え方って全然違うと思うんです。苦手なことでも面白く感じたり、欠点も愛すべき長所になる。そうした方針のなかで育てられたことは、すごくよかったと思っています。

「50代ってまだこんなに元気なんだな」音楽とともに歩んだ道とこれから

── 結婚前は、ウクレレのコーラスディオ「Petty Booka(ペティブーカ)」でミュージシャンとして活動されていました。

 

小木さん:もともと活動していたデュオのメンバーがやめてしまったとのことで、知り合いの音楽プロデューサーからお誘いいただいたのがきっかけでした。

 

じつは、それ以前にも音楽活動をやらないかと、おじのムッシュかまやつが声をかけてくれたことがあったのですが、そのときはあまり興味が持てずに断っていたんです。

 

ですが、いろんなジャンルの曲をハワイアンアレンジでカバーするというペティブーカのコンセプトと、ちょっぴりパンキッシュな姿勢に「面白そうだな」と心惹かれ、加入することに。27歳の頃から結婚する前まで6年ほど活動していました。

 

ペティブーカ加入前は、レコード会社や音楽事務所などで会社員として働いていました。

 

ウクレレのコーラスディオ「Petty Booka(ペティブーカ)」として活動していた奈歩さん(左)

── ペティブーカを離れた後は、どんなキャリアを?

 

小木さん:結婚直後から弟の森山直太朗の会社でマネージャーをしていました。弟や彼の仲間の相談に乗るなかで、「どうせなら会社に入って手伝ってくれない?」と誘われて。

 

最初は、身内と一緒に仕事をするのは、関係が近すぎて抵抗があったのですが、「もしかしたら私がなにかの役に立てるかもしれない」と思うようになり、結局、子どもが小3になるまで弟のマネージャーを務めました。現在は、ペティブーカに復帰し、ライブを中心に緩やかなペースで音楽と関わり続けています。

 

50代になったいま、あらためて感じるのは、「まだまだこんなに元気なんだな」ということ。気力も体力も思った以上に残っていて、ここからまたなにか新しいことを始めてみたいという意欲が高まっています。

 

── たとえば、どんなことでしょう?

 

小木さん:まだ具体的な形になっているわけではないのですが、これまで経験していないことや、苦手だと思っていたことなど、すべての垣根を取っ払って、新しい挑戦をしてみたいんです。なぜだかよくわからないのですが、「いまの自分は何でもできるんじゃないか」という不思議な感覚があるんですよね。

 

私の場合、振り返ると、やっぱり「人間って面白いな」という気持ちが大きいんです。昔からの仲間と過ごすのも相変わらず心地いいし、逆に、自分の知らない世界を持っている人と話すのも、刺激的ですごく楽しい。とくにこれからは、いままで自分の行動範囲内では出会わなかった人と、どんどん知り合って、いろんな話をしてみたいという気持ちが湧き上がっています。

 

PROFILE 小木奈歩さん

1971年生まれ、東京都出身。会社員を経て1999年から2005年まで、ウクレレコーラスデュオ「Petty Booka(ペティブーカ)」で活躍。2006年にお笑いコンビおぎやはぎの小木博明と結婚し、現在一児の母。母親は歌手の森山良子。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/小木奈歩