根津仁香さんはアパレルブランドで働くOLでした。大俳優・根津甚八さんと結婚して主婦業に専念するも、40代から働くことになりますが、再就職は困難を極めました。(全3回中の1回)

仲睦まじい!根津甚八さんと仁香さんが桜の季節に散歩したときのスナップ写真

根津甚八との結婚で専業主婦として支えようとしたら

── 2010年に自身のアクセサリーブランドを立ち上げ、ジュエリープロデューサーとして活躍されています。もともと学生時代は、美大でデザインを学ばれていたそうですね。

 

根津さん:子どものころから、ファッションやインテリアに興味があり、絵を描くことやものづくりが大好きでした。美大に進学したのは、明確な将来の目標があったというより、「なんだか自分に向いていそうだし、楽しそう」くらいの感覚だったんです。

 

卒業後は海外のアパレルブランドに就職して、広報を担当。29歳のときに知り合いのホームパーティで甚八さんと出会って、30歳で結婚しました。

 

── スター俳優だった根津甚八さんとの結婚は、当時、大きな話題になりました。

 

根津さん:ちょうど皇太子様の結婚と同時期で、週刊誌の表紙に皇太子ご夫妻と私たちのウェディング写真が並んで掲載され、ものすごくビックリしたことを覚えています。

 

結婚式のウェディングドレスは、私がデザインしたものをイタリア在住の親友が作ってくれたのですが、オリジナル性のあるドレスも注目され、それを機にブライダルコーディネーターのお仕事が来るようになりました。

 

仁香さんが自身でデザインしたブローチの数々

ただ、もともと俳優として多忙な彼をサポートして生きていくつもりでしたから、自分が働く未来は考えていなかったんです。夫が居心地よく過ごせるように、家庭のなかを整えたり、彼が座長を務める撮影現場に差し入れをしたりしていました。

 

映画の出張先でコーヒーのワゴン車を手配したり、おいなりさんを買って届けたり。このまま専業主婦として、彼をずっと支えていくのだろうと思っていたんです。ですが、その後、彼が次々と病に見舞われ、状況が一変しました。

夫の治療費や教育費のため「40代での再就職は厳しくて」

── ケガをされたことが最初のきっかけだったそうですね。

 

根津さん:じつは、結婚前から体の不調がいろいろとありました。ギックリ腰になっていたのですが、その後、撮影中に腰椎を激しく痛め、ヘルニアで入院したり、両膝を痛めたり。満足に走れない状態になるなど、不調が続いていました。

 

2001年には、右眼下直筋肥大という目の病に襲われて。うつ病も併発して、だんだん仕事をするのが難しい状態に。顔が知られていたので、なるべくひと目につかないように、北海道で1か月療養し、気孔や鍼治療、カイロプラクティックなど、あらゆる治療に努めました。最初の数年間はすべて同行していたのですが、だんだんそうもしていられなくなってきて。

 

── といいますと…?

 

根津さん:夫婦ともに、子どもの教育には熱心でしたから、教育費と夫の治療費で飛ぶようにお金が出ていき、いまさらながら、「仕事をしないとお金ってこんなになくなるんだ…」と愕然としました。

 

もはや専業主婦とは言ってられず、「家族3人の生活費を稼ぐために、私が働いて家計を支えていかなくては」と、職探しを始めることにしたんです。

 

ところが、40代で社会人経験の乏しい私を正社員として雇ってくれる会社は、どこにもありませんでした。世間知らずでしたね。しかも、フルタイムだと、今後は夫や子どもの面倒を見ることが難しくなってしまう。

 

とくに夫は他人が家のなかに入ることを望まなかったし、余計な噂が広まるのも怖かったこともあって、ヘルパーさんを入れずにやってきたため、ワンオペにならざるをえませんでした。

マッサージ師のひと言でテレビショッピングの世界へ

── そんななか、2010年にアクセサリーブランドを立ちあげて、ジュエリーのプロデュースのお仕事を始められました。きっかけは、なんだったのでしょうか?

 

根津さん:自分にできることを少しずつやろうとインテリアの仕事を始めたのですが、それだと一家を養えるほどのお金にはなりません。悩んでいたときに、うちに来てくれていたマッサージの方が、「娘がQVC(テレビショッピングの会社)で働いているから、紹介してあげるわよ」と言ってくださって。素敵な人間関係に導かれるように、アクセサリーブランドのプロデュースの仕事を始めることになったんです。

 

おかげさまで、紹介する商品が次々と好評を呼び、経済的にも安定するようになりました。ただ、肩ひじ張ってやってきたわけではなく、「私だったら」と自分の好みのセレクトに共感してくださる方が増えていったのかなと思っています。

 

10年以上かかわっている通販番組のスタジオ前

── 仁香さんといえば、テレビショッピングでも、「明るくハッピーオーラを感じさせる女性」として、そのキャラクターや人柄も支持されています。

 

根津さん:ありがたいことに、そう言ってくださるお客様も多いのですが、まったく素の自分で出演すると、ハッピーオーラなんてとても出ません。

 

ただ、どんよりと暗い顔をした人が商品を紹介しても魅力的に見えないし、手に取りたいと思いませんよね?ですから、私としては、ハッピーオーラは「意識して作り出す」もの、「まとう」ものだと思っているんです。そう見えない状態のときは、サボっているということです(笑)。

 

── どうやって自分の気持ちを上げて、ハッピーオーラを作っていくのですか?

 

根津さん:できるだけ「明るく笑顔で軽やかに」と意識してカメラの前に立ちますが、結局は、この仕事がすごく好きなんでしょうね。番組が始まると不思議とアドレナリンが出る感じ。夢中になって楽しんでいる姿が皆さんに伝わって、ハッピーだと感じてもらえるのかもしれませんね。

 

テレビショッピングのお仕事は、今年で13年目になりました。競争が厳しいこの世界で13年出演し続けていられるのは珍しいことだと聞き、本当にありがたいなと思っています。

 

ただ、やはり商品が売れないと生き残っていくことができないので、数字にはシビアになります。私がきちんと魅力を伝えられないと、作って下さるメーカーやバイヤーさんにも迷惑がかかる。ですから、いまでも新しい商品を紹介するときは、すごくドキドキしますね。

 

PROFILE  根津仁香さん

ねづ・じんか。ファッションジュエリープロデューサー。武蔵野美術大学で空間演出デザインを学んだ後、海外アパレルブランドに就職。2010年、パーソナルセレクトブランド 「Jinka Nezu」を立ち上げ、アクセサリープロデューサーとして活動を開始。著者に『根津甚八』(講談社)。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/シーオージャパン株式会社