人から見れば大成功を収めたアスリートが引退するとき。どんな気持ちで、その後どんな生活を送るのだろう。女子テニス界で世界トップクラスの結果を出した杉山愛さんの話によると──。(全4回中の1回)

 

「ダブルスでは最高世界ランク1位」に輝いたあどけない中学時代の杉山愛さん

完全燃焼して引退「目標を見失ったときに始めたこと」

── 引退後は、叶えたいことを書きだした「ウィッシュリスト」を作り、それに基づいて、行動されてきたそうですね。

 

杉山さん:34歳で現役を引退しましたが、それまで自分のすべてをテニスに費やしてきたので、「やりきった」という思いが強くて。正直、燃え尽きた…というか、ぽっかりと胸に穴が開いたような空虚感があったんです。

 

この先、何を目標に進んでいけばいいのかが見えず、「次の夢はなんですか?」と聞かれるたびに、「そんなものないよ…」という気持ちで苦しい時期がありました。

 

── 人生をかけて打ち込んできたテニスに変わるものは見つけるのは、そうそう簡単ではないですよね。

 

杉山さん:まさにそうでしたね。お仕事のオファーをたくさんいただき、忙しい日々を過ごしながらも、「いったいどこに向かっているのだろう」と、テニスほどの充実感が得られず、気持ちが落ち着かない。先の見えない心地悪さを感じていました。

 

引退後は「スッキリ」や「ヒルナンデス」など多数の情報番組に出演

現役時代は、つねに「こうなりたい」という明確な目標を立て、そのためにいま何をすべきかを考えながら、実現に向けて行動してきました。でも、その目標自体がみつからないから、すべきことがわからなかったんです。

 

行き詰まった状態をどうにかしようと思い、現役時代から実践していた「自分自身と徹底的に向き合う」ことに取り組みました。「この先どうしたい?」「どんな未来を望んでいる?」と自問自答しながら、叶えたい「ウィッシュリスト」を100個書きだしていったんです。

最初の目標は「結婚と出産」40歳で達成してからは…

──「ウィッシュリスト」では、どんなことが出てきたのですか?

 

杉山さん:最初に出てきたのは、結婚と出産でした。他にも、富士登山にチャレンジしたいなど、選手時代にできなかったことを書き出していったのですが、25個あたりでパタッと手が止まり、「え、これしかないの?」とその少なさに愕然。

 

それでもなんとか絞り出すうちに頭が整理されていき、進みたい方向ややるべきことが見えてきたんです。出産を望むなら、そこまでのんびりはしていられないな。そして、この先の10年間、45歳ごろまではプライベートを優先していこう、そのなかで自分の天職と思えるものを見つけられるといいなと考えました。

 

そんなふうにして、自分に「充電期間」を与えたことで、心がすごくラクになったんです。「ウィッシュリスト」をひとつずつ達成していくことで、叶っていく充実感も味わえて、いまでもリストは毎年更新し続けているんですよ。

 

── 実際に36歳で結婚、40歳で第一子を出産と、ウィッシュリストを実現されましたね。

 

杉山さん:なかなか子どもを授かることができなかったのですが、3年間の不妊治療を経て、妊娠が叶ったときは本当にうれしかったですね。子どもができて人生設計が定まり、やりたいことがより明確になりました。

 

お子さんふたりの誕生日が同じ日!奇跡のファミリーの誕生日の様子。夫の杉山走さん(左上)と愛さんもニッコリ

これからの人生において、3つの柱を中心に活動していこうと決意しました。ひとつは、テニスという大きな柱です。いまは女子テニスの日本代表監督や、自身のテニススクールで選手の指導や育成に関わっています。

 

2つめは、テニスの解説やコメンテーターなど、メディアでのお仕事。3つめが、自分のこれまでの経験を講演などで伝えていくこと。いろんな人を元気にしたり、いいエネルギーを感じてもらえれば嬉しいなという思いがあります。

テレビのコメンテーターは「テニスと共通する面も」

── 引退後は、情報番組「スッキリ」や「情報ライブミヤネ屋」など、コメンテーターとしても活躍されています。それまでとは畑違いのジャンルになりますが、とまどいはなかったですか? 

 

杉山さん:引退後に「やってみませんか?」と声をかけていただいたことがきっかけでしたが、じつはそれまで日本のテレビ番組をほとんど見てなくて、テレビの世界に疎かったんです。だからこそプレッシャーを感じることなく、気軽な気持ちで飛び込むことができたのだと思います。

 

生放送でのコメントは瞬発力が問われますが、テニスとも共通するところがあり、自分には向いているようです。むしろ事前収録のほうが「失敗したらどうしよう」と緊張しますね。

 

慣れないころは「なんであんなことを言っちゃったんだろう」「もっといい言葉があったのでは?」と落ち込むこともありましたが、元来の切り替えの速さで、「誰もそこまで私に期待していないだろうし、お茶の間で観てくださる方の代弁ができればいいや」と考えることでラクになりました。

 

「スッキリ」は、番組終了までの約12年間、司会の加藤さんをはじめ、たくさんの方に助けられて、楽しく務めさせていただくことができました。とても感謝しています。

 

── コメンテーターとして発言するときに、心がけていることはありますか?

 

杉山さん:ジャンルが多岐に渡るので、いろんなことに興味を持ち、できるだけ物事を立体的に見るように心がけています。例えば、ひとつのできごとにしても「もしも自分がこの立場ならどう考えるか、あるいは逆ならどうだろう」と、両方から考えるようにしています。

 

また、スポーツ絡みでコメントをするときは選手を傷つけたり、嫌な気持ちにさせないように意識していますね。私も選手時代に「状況がわからないのに、なぜこんなことを言われるのだろう」と感じた経験があるので、フラットな視点で事実を伝えるようにしています。選手の気持ちが誰よりもわかるからこそ、気をつけています。

 

PROFILE 杉山 愛さん

1975年神奈川県生まれ。パーム・インターナショナル・スポーツ・クラブ代表、BJK杯日本代表監督。17歳でプロに転向、グランドスラムで4度のダブルス優勝を経験。最高世界ランクはシングルス8位、ダブルス1位。グランドスラムの連続出場62回の世界記録を樹立し、オリンピックには4度出場。34歳で現役引退後は、テニスの指導やメディアなど、多方面で活躍中。

 

取材・文/西尾英子 画像提供/杉山愛