フジテレビアナウンサーだった久慈暁子さんは大学時代にnon-noモデルとして活躍しました。岩手から上京後、学業と仕事の両立やアナウンサーを目指したきっかけについて伺いました。(全3回中の1回)

撮影後は大学に走って通う日々

── 学生時代からモデルをされていますが、仕事を始めるきっかけはなんでしたか。

 

久慈さん:大学進学のために岩手から東京に出てきて、渋谷でスカウトされたのがきっかけです。田舎者すぎて、街で話しかけられたら立ち止まって話を全部聞かなきゃならないものだと思っていました(笑)。街で配っているティッシュやチラシなどもすべて受け取っていましたね。

 

久慈暁子さん
大学の卒業式で春らしいピンクの着物とシックなネイビーの袴を合わせた久慈さん

── そこからすぐにお仕事を始めたのですか?

 

久慈さん:いえ、最初は上京した4月に声をかけていただいたんですが、授業の履修のスケジュールを組むことに必死で。それに、芸能活動をするために東京に来たわけではなかったので、その時は考えられなかったです。履修なども決まって、生活も少し落ち着いた5月に今の事務所からお声がけいただいたので、そこでやってみようかなと思って始めました。今もその事務所に所属しています。

 

── それまでモデルをした経験はありましたか。

 

久慈さん:まったく経験したことがなかったので、non-noモデルをさせていただいていた頃は、とにかく先輩方の見よう見まねでした。雑誌を見て勉強したり、撮影風景を見てポーズを学んだり。とにかく最初は真似をすることから始めました。

 

── 学業と仕事の両立は大変そうです。

 

久慈さん:1限目の授業が9時から始まるのですが、必修の授業が入っていることもあって、朝早い撮影があると授業の開始時間に間に合わせるのに必死でした。よく走って大学に向かっていましたね。大学進学のために東京に出てきたので、確実に卒業するために勉強との両立を頑張った学生生活でした。

 

久慈暁子さん
可愛すぎる!non-noモデル時代のオフショット

第一志望だったフジテレビのアナウンサー

── 就職活動ではアナウンサー以外の職業も考えていたんですか。

 

久慈さん:いえ、考えていませんでした。声をかけていただいて始めたモデルのお仕事でしたが、お仕事はとても楽しくて充実していました。ただ、母が元々、地方局のアナウンサーだったこともあり、私にとってアナウンサーは小さい頃から身近な職業でした。

 

母は仕事の時にはキリッとして、子どもながらにかっこいい仕事だなと思っていました。私が物心ついた頃にはフリーで活動していたのですが、お仕事から帰ってくる雰囲気もいつもと違って子どもながらに憧れていました。

 

── 第一志望だったフジテレビのアナウンサーに就職が決まった際、お母様の反応はいかがでしたか。

 

久慈さん:母は、「まさか自分の娘がキー局のアナウンサーになれるとは思ってなかった!」と喜んでくれましたね。私もそんな母の喜ぶ姿を見ることができてとても嬉しかったです。

 

久慈暁子さん
原稿を持って社内を移動する久慈さん オフィスファッションも素敵!

── 狭き門を潜り抜けて内定をもらえたわけですが、就職活動で意識していたことはなんでしたか。

 

久慈さん:とにかく自己分析をたくさんしました。ノートに自分の好きなこと、嫌いなこと、自分のいいところと悪いところも書き出して。「自分って何者なんだろう」というのを探っていました。あとは、面接では嘘をつかないことを大事にしていました。嘘に嘘を重ねていったらドキマギしてしまいそうな気がして。等身大で受けて、受からなかったらご縁がなかったんだと思うようにしていました。

ダンスにモノマネも。挑戦し続けたアナウンサー時代

── アナウンサーになってみて、イメージしていた仕事とのギャップを感じたことはありますか。

 

久慈さん:フジテレビらしいとも思うのですが、さまざまな歌手の方が出演するa-nationでダンスをしたり、ハモネプで歌を歌ったり、番組でモノマネをすることもありました。入社の時には想像していなかった仕事なのですが、ダンスはそんなに得意ではなくて、「私で大丈夫かな」と正直、不安でした。

 

── 仕事の幅が広いですね。

 

久慈さん:情報番組や報道番組のあとに、別室にみんなで集まって練習するのですが、まるで部活のようでした。ダンスの先生にアドバイスをいただいたり、ダンスが上手な先輩アナウンサーに教えてもらって練習したり。学生時代に戻ったような時間でしたね!(笑)

 

── 担当されていた番組で特に印象深いものはなんですか。

 

久慈さん:めざましテレビと、それより早い時間に放送していためざましテレビアクアです。とにかく朝が早かったですね。アクアは1時に起きて出社して、めざましは3時起きで行っていました。

 

久慈暁子さん
レインボーブリッジの夜景をバックに。毎日楽しみにお台場に出社していたという久慈さん

── 朝というより夜中ですね!何時に寝るんですか。

 

久慈さん:早く寝ようと思ってもなかなか眠れなくて。私は夜の10時半か11時に寝ていました。家で夕方4時頃にひとりで夕飯を食べてお風呂に入るのですが、私は寝るまでに時間がかかるので、夜に人と会う時間はなかったです。

 

それに誰とも予定が合わなくて、めざましを担当していた時期は友達とあまり会うこともありませんでした。そのかわり、社員同士で集まることが多くて、同期ともすごく仲が良かったです。家に遊びに行ったり、お休みには一緒に旅行に行ったり。めざましに行くのは学校に行くような感覚もあって、「今日はどんな話ができるかな〜!」と、朝は早くても楽しみに出勤していました。

 

番組でなかなか会えない方にお会いしたり、取材では普段行かないような場所に行けたり、新しい発見が毎日ありました。その後に担当しためざまし8では、番組内でプレゼンをさせてもらったのですが、自分で取材に行って自分の言葉で伝えるということも、とてもやりがいがありました。

 

── アナウンサーの経験が今に活きていることはありますか。

 

久慈さん:臨機応変に対応できるようになったことです。突然、「今から取材で静岡行ってください」とか「愛媛に行ってください」と言われることがあって。何の準備もしていないので当時はあたふたしていたんですが、今となってはそれが活きています。

 

今は夫の仕事の関係でアメリカや日本と拠点がいろんなところにあります。急な移動もありますが、そんなときのパッキングもすごく早くなったと思います(笑)。とっさの物事にも臨機応変に対応できるのはアナウンサーをしていた経験が活きていると思いますね。

 

PROFILE 久慈暁子さん

久慈暁子さん

1994年岩手県生まれ。学生時代にnon-noモデルとして活躍し、その後フジテレビのアナウンサーとして「めざましテレビ」などに出演。退職後はフリーアナウンサーやモデルとして活動の幅を広げる。プロバスケットボールプレイヤーの渡邊雄太選手と結婚後、アメリカ在住。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/久慈暁子