15歳でグラビアデビューし、瞬く間にお茶の間の人気者となった山田まりやさん。芸能デビューから27年が経った今も変わらずテレビ番組などで活躍中です。明るい雰囲気とは裏腹に、幼少期は家庭環境で苦労をしたそう。家族を守るために芸能界デビューを決めたという10代の頃のお話を伺いました。(全3回中の1回)

 

事務所に入ったばかりのころの山田さん

小学生のころはいじめられっ子…自分が好きじゃなかった

── いつも明るくバイタリティに溢れている印象ですが、子どものころはどんな性格でしたか?

 

山田さん:今とは性格が真逆っていうほど違いましたね。自分の親には頼りないところがあり、“大人になったらすごく楽しい世界が広がっている”…というような前向きな夢は持てませんでした。自分のことがあまり好きではなかったし、顔もスタイルも頭も悪いし、性格も臆病だし、取り柄なんてないと思い、自己肯定感が低かったんです。

 

── 何がきっかけで変わったのでしょうか。

 

山田さん:10歳下の弟が生まれてから自分の中に母性が芽生えたんです。父が酒乱でつねに緊張硬直状態で晩ごはんを食べる環境だったので、漠然と早く家を出たい、自立したいと思っていました。

 

目がぱっちりと可愛らしい小学生のころの山田さん

── そういった背景があって芸能界入りを考えたのですね。

 

山田さん:そうですね。子どもながらに、“弟のそばから離れないで家族を守るためにはどうしたらいいんだろう”ってずっと考えていました。“この子を守るために生きていくんだ!”という使命感を抱いてからは、学校でいじめられたり、悲しいことがあったりしても気にせず学校に行けるようになりました。

 

── 最初からグラビアアイドルになりたかったのですか?

 

山田さん:いえ。最初はイエローキャブ(山田さんが最初に所属した事務所)とは別の事務所でレッスンを受けていました。そこに当時イエローキャブの社長だった野田さんが来たんです。そのとき、ほかのレッスン生は何枚も写真を撮られていたのに、私はたった1枚しかシャッターを押してもらえなかったので、“私は芸能界に向いていないんだな…”って思いました。それなのに、なぜか後日野田さん本人から連絡が来て。

 

── それがきっかけで本格的な芸能活動が始まったのですね。野田社長は当時から強面なイメージがありましたが、まだ10代の山田さんから見て、怖くありませんでしたか?

 

山田さん:初めて会ったときは怖かったです。“どこかに売り飛ばされたらどうしよう”って思ったくらい(笑)。でも私の場合、芸能界に入ったのは、いい生活がしたいとか、可愛いから有名になりたいという私欲のためではありませんでした。たまたま売れたのは早かったけれど、28歳までは給料制でしたし。“すごく稼いでいたんでしょ?”って言われることもありますが、そういうことはいっさいなかったです。その代わり、母と弟と私の3人の生活をすべて保障してもらっていました。本当に、家族を養っていきたいっていう理由だけで芸能界に入ったんです。

事務所の社長に「ランドセルを買うお金をください」

── 山田さんにとっては、家族の存在が芸能界で頑張りつづける理由になっていたのですね。

 

山田さん:最初にドラマのオーディション役に受かったときに、撮影所から家までが遠かったので、社長に都心に引っ越してこいと言われたんです。そのとき、思いきって家庭の事情を全部説明して、“こういう状況だから、一緒に住んでいいですか?”って聞きました。

 

── そのとき、おいくつだったんでしょうか?

 

山田さん:15歳でした。社長は“じゃあお前、人生を俺に預けろ。でも、10代の娘さんを預かるということは、相当な責任と覚悟がないとできないことだからな”って言われたんです。その言葉を信じて私も芸能界に飛び込みました。

 

決断できたのは、自分より弱い存在の弟を守りたい気持ちがすべてでした。弟が幼稚園を卒園する日と、私の仕事始めの日が同じ日だったので、弟が卒園式を終えてから飛び出して来てもらい、この日から私が一家の大黒柱となって母と弟と3人での生活が始まりました。

 

15歳の私が初任給でもらったのは10万ほど。でもそれだと、生活家電を買ったら弟のランドセルを買うことができなくて…。社長に「すみません。今、うちにはお金がないので、ランドセルを買うお金をください。将来返しますから」と。

 

── 想像するだけで、ものすごい決意だと感じます。そこまでして飛び込んだ芸能界で、やってみたいことはあったのでしょうか?

 

山田さん:普通は歌とかお芝居とか答えるんでしょうけど、当時の私には明確にやりたいことはなく、社長に“何がやりたいんだ”と聞かれたときに、とっさに“さんまさんやたけしさんに会ってみたいです”と伝えました。そしたら、“じゃあ、バラエティだな”と、方向性が決まってしまいました(笑)。

 

── 10代のころからビートたけしさんや明石家さんまさんという大御所と共演されていましたが、緊張はしないタイプだったのでしょうか?

 

山田さん:『スーパーJOCKEY』(日本テレビ系)にレギュラー出演が決まり、熱湯コマーシャルの生着替えなど、アドリブで笑いを生み出さなきゃいけないプレッシャーがありました。でも、周りに覚えてもらわなきゃと思って、玉砕覚悟で共演者の方々にぶつかりに行くようになって。そんな私の傍若無人な振る舞いをたけしさんが面白がってくれて、他の番組への出演が増えはじめたんです。そういうきっかけが重なって、だんだんと緊張より楽しめるようになりました。

 

山田まりやさん
女優業も増えていき、17歳で『ウルトラマンダイナ』に出演

デビュー当時の悩みは「友達がいないこと」

── デビュー当時は悩みなどはありましたか?

 

山田さん:周りよりも若くしてデビューしたので、最初は芸能界に友達がいなかったんです。だから、『笑っていいとも!!』(フジテレビ系)のテレフォンショッキングに出演したときは、“友達がいない”という理由で、自分が会いたかった大好きな所ジョージさんに電話をしちゃいました(笑)。所さんは電話口で呆れながらも、結局次の日出演してくれたんですよ。

 

最もグラビア撮影が多かった16歳のころ

── 15歳でその度胸はすごいです。加えて、かなり水着でのお仕事が多かったと思うのですが、抵抗はなかったですか?

 

山田さん:当時は学校の水泳の授業以外では水着を着たことなんてなかったし、正直イヤでした。コンビニに行って、自分が表紙の雑誌を見つけると目立たないように後ろに隠したりしていましたね。

 

── 仕事が楽しくなってきたのは、いつごろからでしたか?

 

山田さん:グラビア撮影では、カメラマンさんやヘアメイクさんなど同じスタッフの方々とお仕事をする機会が増えてきて。回を重ねるごとに楽しくなっていきましたね。ピーク時は年間200誌の表紙を飾らせてもらいました。

 

PROFILE 山田まりやさん

第1回ミスヤングマガジングランプリを受賞後、1996年デビュー。グラビアアイドルとして活動を始める。以後、テレビのバラエティ番組、映画・舞台のほか、コメンテーターとしても幅広く活動中。近年はボランティアなど支援活動にも精力的に取り組んでいる。

 

取材・文/池守りぜね 写真提供/山田まりや