日本語がわからないまま、18歳のときにスウェーデンから日本に来たLiLiCoさん。仕事がなく車上生活を経験しながら、気づけば『王様のブランチ』の映画コメンテーターで22年も活躍しています。(全5回中の5回)
日本のテレビへの憧れ
── 18歳のときにスウェーデンから来日されたそうですね。なぜ日本に?
LiLiCoさん:子どもの頃に見た日本のテレビをきっかけに、日本で歌手になりたいと夢を抱いたことがきっかけです。スウェーデンでは国営放送が2つしかなくて、CMはゼロ。日本はチャンネルがたくさんあって、しかも人目をひくたくさんの映像が流れていて、すごく素敵だなと思ったんです。18歳になったのを機に、祖母を頼って日本に移りました。それに、スウェーデンにいた母とも折り合いが悪く、母の元を離れたかった気持ちもあります。
── 日本に移住してみていかがでしたか?
LiLiCoさん:最初は日本語がまったくわからなかったものの、生活するうちに少しずつ日本語を覚えることができました。事務所にも所属して、レッスンに通うことに。
その後、19歳で歌手デビューしましたが、思うように仕事が取れず20歳の誕生日を迎える頃にはお金も底をついてしまいました。しばらくはマネージャーと2人で5年ほど車上生活をしながら、健康ランドやスナックで歌を歌う生活をしていました。
── その後、アニメ『サウスパーク』の声の仕事を手にすることに。
LiLiCoさん:『サウスパーク』のオーディションのとき、スタッフに頼まれてお手伝い。それがみんなの相手をすることでした。でもエリック・カートマンの役をそこで仕留めました。
それがきっかけで、声優としての仕事や映画コメンテーターなど、さまざまな場面で活躍する機会を得ることができました。
映画コメンテーターも気づけば22年目
──『王様のブランチ』の映画コメンテーターの役も、偶然の出会いから始まったそうですね。
LiLiCoさん:私は子どもの頃から映画が好きで、ある雑誌の映画を3本紹介するコラムのお話をいただいたので「せっかくならばバラエティに富んだものを」と紹介したんです。後日そのコラムが『王様のブランチ』の放送作家の目に留まり、番組のADからオーディションの連絡がありました。受けたら見事合格して、すぐに映画コメンテーターとして出演できるようになりました。
──『王様のブランチ』に映画コメンテーターとして出演されていかがでしたか?
LiLiCoさん:はじめは自分がコメントすることも不慣れでしたし、生放送で緊張もしました。映画の出演者にインタビューをしてもうまく敬語を使えないし、大変なことばかり。ブランチの映画コメンテーターになってから5年間くらいは、放送が終わったあとはうまくできなくて落ち込むことも多かったです。
今はブランチに出て気づけば22年に。ブランチの空気もどんどん変わっていったと思います。以前は、レポーターの子たちがテレビのモニターに写りたくて必死でした。今はそのような気迫が控えめで、おだやかな雰囲気になってきたなと感じます。これも時代の移り変わりなのかもしれませんね。
──『王様のブランチ』をきっかけに、仕事の幅も広がってきましたね。
LiLiCoさん:ありがたいことに、スティーヴン・スピルバーグ監督や、ブラッド・ピットやジョニー・デップなどの大物俳優にも、何度も会いました。どの監督やプロデューサーと会ってお話ししても楽しいですよ。大勢のスタッフや俳優、監督、プロデューサーなどが1つの作品を作りあげ、私はその作品をたくさんの人たちに紹介する。
それぞれの役割がありますが、「みんなで一緒に元気を届けたい」という空気を感じています。
仕事以外にも、前に大好きなプロレスにもチャレンジしたこともあります。どんなに忙しくても自分がやりたいことは楽しみたいですし、これからも先が楽しみです!
PROFILE LiLiCoさん
スウェーデン出身。18歳で来日し、1989年に芸能界デビューを果たす。2001年から情報番組『王様のブランチ』で映画コメンテーターとしてレギュラー出演。2017年、俳優で歌手の小田井涼平さんと結婚。
取材・文/間野由利子