「藪からスティック」などのルー語で1990年代、テレビをにぎわせたルー大柴さん。「ルー語のきっかけは彼女」など、知られざる逸話が出てくる、出てくる!(全4回中の1回)。
「くどい」と言われようが売れたかった30代前半
── 1990年代前半、カツラメーカーのCMで脚光を浴びたルーさん。30代でブレイクしました。
ルーさん:34歳ごろですね。「暑苦しい」「くどい」と言われたけど、とにかくルー大柴を知ってもらわないと、って海パン一枚でテレビに出たりしました。あの姿が私のすべてではないんだけど、とにかく売れたくてね。アクの強い、おじゃまむしキャラでいってました。
── 34歳でブレイクするまでは、何を?最初からバラエティを目指していたのでしょうか?
ルーさん:いいえ、役者を目指していました。私はもともと“表現者”になりたかったので。昭和の時代には、いわゆるタレントっていうのはあまりいなくて。俳優の三橋達也さんの付き人をしたり、勝新太郎さん主宰の勝アカデミーに通って、役者になる勉強をしたり。でも役者としてはチャンスがなくて、結婚式の司会などのアルバイトをして過ごしました。
── いわゆる下積み時代にあたるかと思いますが、この時代に学んだことは?
ルーさん:勝アカデミーで俳優の故・岸田森さんに出会い、とてもかわいがってもらいました。演じるうえで「狂気を大切に」という彼の言葉が心にのこっています。
── 当時から現在にいたるまで俳優としても舞台で活動されていますが、ブレイクしてもご自身のアイデンティティは変わらず?
ルーさん:そうですねぇ、いまは“エンターテイナー”でしょうか。
「藪からスティック」ルー語は高校生のころから
── 人を楽しませるのが仕事。ブレイクのきっかけは英語をまじえたルー語、これはどのように生まれたんですか?
ルーさん:祖父が戦前ロシア・中国で仕事をしていた関係で、父もロシア語・中国語・英語が話せたので、小さいころから家庭内でも英語をちょくちょく聞きながら育ちました。
さらに高校時代、彼女が帰国子女でアメリカンスクールに通っていたので、会話に英語が混じることもあり、私もそこに傾いたって感じがします。高校卒業後に、世界を放浪した経験も影響しているかな。
── では、成長や経験のなかで、自然に英語をまじえた“ルー語”ができあがった?
ルーさん:そうそう、もともと自分でも使ってたからね。テレビに出るためにわざわざ作ったというものではないです。でも「これからは英語の時代だろう」と、日本語と英語を組み合わせたら笑いがとれるかな、とは考えていました。
“ルー語”は、フィーリングです。中学2年生レベルくらいの誰でもわかる英語を、日本語にはさんでいます。たとえば「藪からスティック(棒)」「寝耳にウォーター(水)」など、ことわざ・慣用句から、「イフユーライク(よろしければ)ご覧になってください」みたいに会話まで。
もちろん自分でも使いますよ。でも、家族とは使わないなぁ(笑)。息子たちとはちょっと使うかな。
超売れっ子から一転、嫌いなタレントNo.1に
── 最盛期にはテレビは民放全局とNHK、ラジオ番組含めレギュラーは9本と大忙しだったそうですね。
ルーさん:まさかこうなると考えてなくて、サプライズ。人生どこでどうなるかわからないものです。売れるってこういうことなのかと思いました。遅咲きでしたね。
── まわりからの扱いも変わりましたか?
ルーさん:世間の目は変わりましたね。外を歩いても見られたり、声をかけられたり。騒がれるし、これにはちょっと驚きました。
── ルーさんは、彫りがふかくて、目鼻立ちがはっきりしているから余計に目立ったでしょう。日本人離れしている気も。
ルーさん:私は、トルゥージャパニーズです(笑)。
── このときのブームは数年続きます。
ルーさん:6年くらい続きましたね。でも、40歳を過ぎるとあれだけあった仕事がひとつ減りまたひとつ…。40歳ごろからはレギュラー番組もなくなり、人気がなくなってきたなって。そのころから、いろんな“嫌いなタレント”ランキング1位になったりしました。
── そこまで嫌われた理由は?
ルーさん:それだけテレビに出ていたし、目立ってたからねぇ。とにかくみんなに知ってもらおうと、すきがあればすぐ出ていくアクの強さ。数年間それを続けたら、自分自身でも飽きて、世間も飽きてきた。それで人気が低迷したんじゃないかなって、いまからふりかえって思います。そこから50代で再ブレイクするまで10年以上かかりました。
PROFILE ルー大柴さん
1954年、東京都生まれ。高校卒業後、欧米を放浪。日本語と英語をトゥギャザーした話術を使う独特のキャラクターで活躍、役者としても舞台を中心に活動。2007年NHKみんなのうたに採用された『MOTTAINAI』をきっかけに、富士山麓の清掃や地域のゴミ拾いなど環境活動にも積極的に取り組む。2013年に遠州流茶道師範に。
取材・文/岡本聡子 画像・写真提供/ルー大柴、株式会社Carino