5歳から民謡をはじめ、演歌歌手になる夢を叶えた丘みどりさん。デビューまでの道のりや母親の闘病生活について伺いました。(全3回中の1回)

アイドルで芸能界入り

── 幼少期から歌を習い始めたそうですね。

 

丘さん:今のようにボイストレーニングの教室はなかったので、祖母が毎週通っていた民謡教室に5歳から通い始めました。おばあちゃんと一緒にいられるのも嬉しかったですね。一緒には住んでいなかったのですが、車で1時間くらいのところに住んでいるおばあちゃんが大好きで、しょっちゅう会いに行っていました。

 

丘みどりさん
超貴重!グループで活動していたアイドル時代の丘さん。はつらつとした笑顔は今も変わらず

父も母も音楽が好きで、演歌もロックも聞くし、家ではいろんなジャンルの曲が絶えず流れていました。でもそのなかでいちばん私の耳に入ってきたのが演歌で。島倉千代子さんの「人生いろいろ」を私が歌っているホームビデオも残っています。いろいろ聞かせたけれど、演歌が好きだったと母も言っていました。

 

── どんなお子さんでしたか。

 

丘さん:人見知りが激しくて人の前に出るような子どもではありませんでした。学校でも手を上げて発表するなんてできないタイプ。家族の前で歌うのはいいけれど、発表会で歌うのも実は嫌でした。でもいざ歌うとみんなが「上手だったよ!」と拍手をしてくれるのは幼いながらに楽しいなと感じていましたね。

 

── 今や大きなステージで歌われていますが、いつ頃から克服されたんでしょう。

 

丘さん:いえ、実はいまだに克服できていないんです(笑)。元々の性格は変わっていなくて、実は今でもすごく緊張するんですよ。

 

丘みどりさんの幼少期
着物を着てステージで民謡を歌う幼少期の丘さん

── 演歌歌手の前はアイドルグループで活動していたご経験があるそうですね。

 

丘さん:18歳のとき、オーディション雑誌を開いて1ページ目に目に飛び込んできたのがアイドルのオーディションでした。応募したアイドルの事務所で「何をしたいの」と聞かれて「演歌が歌いたいです」と言ったら「それ、うちじゃないよねぇ(笑)」って。

 

── なぜアイドルの事務所に応募したんでしょう。

 

丘さん:そこまでよく知らなくて、とにかく芸能事務所に入ったらいろんなことができると思っていたんです。そのオーディションに合格したらレギュラー番組がもらえるというものだったので、楽しく活動させてもらいました。グループなのですが個人の活動も多くて、私はリアクション担当でバラエティのお仕事を多くさせていただきました。

 

── アイドル時代に学んだことで今に繋がるような要素はありますか。

 

丘さん:体を張ったロケも多かったのですが、それは今に生きていると思います。なんでもしましたし、急にマイクが止まったり、衣装のトラブルがあったりしても臨機応変に対応できるようになったのはアイドル時代があったからだと思います。

 

── その後、本格的に演歌歌手を目指します。

 

丘さん:演歌歌手としてデビューするという元々の夢を叶えるために、ボーカルの専門学校に通って、いちから歌の勉強を始めました。そこでしっかり基礎から、声の出し方や表現の仕方を習いました。

 

── 歌は昔からお好きとのことですが、同じ曲を歌って飽きがくることはないんですか。

 

丘さん:民謡は「あ〜」だけで3年間練習することもあるんです。全然進まなくて、もう「あ〜」言いたくないよ、ってくらい同じフレーズばかりを練習するので、それには慣れていたと思います。ボーカルの専門学校で1曲を1か月間歌うとしても民謡に比べたら余裕でした。

デビュー後すぐ発覚した母の病

── そこから見事、演歌歌手としてデビューされましたが、その後すぐにお母さんの病気が発覚したそうですね。

 

丘さん:「ちょっと体調悪いから検査行ってくる」と言って検査に行ったら母にがんが発覚して。余命半年と言われて、そのあとはお仕事をしばらくお休みして看病しました。

 

丘さんのお母さん。丘さんの素敵な笑顔は母親譲り!

── 仕事を休むことに対してお母さんは何かおっしゃっていましたか。

 

丘さん:仕事を休んでいることを母に言っていなかったんです。もし伝えたら「私のことなんていいから行ってきなさい」と絶対に言うと思って。内緒にして、「仕事ないんだよね」と嘘をついていました。

 

同じくらいにデビューした子たちがどんどんテレビに出ていて、それを母と見ながら「なんでみーちゃんは出られないんだろうね」、「なんでだろうね、もっと頑張らなきゃね」とごまかして。でも、母親なので、私のついていた嘘にもしかしたら気づいていたかもしれないですね。

 

── 闘病中のお母さんとどう過ごされていたんですか。

 

丘さん:母は入退院を繰り返していたので、ずっと一緒にいました。絶対涙を見せちゃいけないと思って、テレビで病気の話が出てくるとチャンネルを変えたことも。私が母にできるのは少しでも病気のことを忘れられるようにすることだと思って、なるべく楽しい話をして笑わせていました。余命半年と言われましたが、そこから1年半生きてくれました。

 

丘みどりさんとお母さん
お母さんと丘さんの写真。恥ずかしがり屋だったという幼少期もとっても可愛い!

── 仕事はいつ頃から再開しましたか。

 

丘さん:亡くなった次の月くらいから始めたのですが、それまでの1年半を母のためにと思って生きてきたので、急に自分が空っぽになったような気がしていました。これから一体、なんのために仕事をするんだろうって。

 

母は私にずっと歌手になって欲しいと言ってくれていました。この先成功したとしても喜んでくれる人がいない。もう仕事辞めようって思ったんです。

 

── 伺っていて切ないです。

 

丘さん:でもそのことを父に言ったら、「辞めていいんじゃない?家にいたらいいやん」って。そう言われたら急に冷静になって、「このままじゃダメだ」と思えました。ここで父から「絶対辞めたらダメ」と言われたらきっと反抗して辞めていたかもしれません。今、続けられているのは父のおかげです。

 

丘みどりさんとお父さん
海水浴に出かけた小さい頃の丘さんとお父さん。親子の仲睦まじいショット

母がステージを見にきてくれたのは4〜5回だったと思いますが、母の分までいろんなことにチャレンジしようと思ってステージに立っています。すごく緊張する性格なので「ママがいるから大丈夫」と思うようにしていますし、いつもどこかで見守ってくれているような気がしています。

 

PROFILE 丘みどりさん

丘みどりさん

1984年生まれ。幼少より民謡をはじめ、18歳でアイドルとして芸能界入り、20歳で演歌歌手デビュー。NHK紅白歌合戦への出場ほか、CM、バラエティ番組、コンサートツアー等幅広く活躍。新曲『椿姫咲いた』発売中。

取材・文/内橋明日香 写真提供/丘みどり