2001年に和泉元彌さんと結婚した羽野晶紀さん
2001年に和泉元彌さんと結婚

和泉元彌さん(48)と結婚し、ふたりの子どもを育てあげた羽野晶紀さん(54)。稽古漬けの毎日を送る跡継ぎたちの、特に長女には、自分の経験に基づいたアドバイスを送っています。

マスク姿しか知らないまま…

── 新型コロナの蔓延から3年がたちましたが、その間はどう過ごしていましたか?

 

羽野さん:3年は長すぎましたね…。私についた新しいマネジャーさんが、マスク姿しか知らないまま異動してしまうこともありました。

 

私の芝居の仕事も、劇場でのお客さんの数が制限され、会話を控えることになったので、笑いが起こる場面での反応を感じることができず、やりにくかったですね。

 

撮影の仕事も滞ってしまい、3日に1回は、PCR検査を受けていた時期もありました。数十回は受けたと思うので、大変でしたね。

 

長女の高校の卒業式での羽野晶紀さんと和泉元彌さん
長女の高校の卒業式で

母親になってからいちばんのストレス

── 家庭内でみなさんがコロナに感染をしたとか?

 

羽野さん:ただ、それぞれ時期が別だったので、お互いに支え合い、乗り越えることができました。感染者が出たときは、隔離をして、ビニール手袋をして、食事の提供はそれぞれの部屋でして…等々、非常に神経を使いました。

 

今回のコロナが、子どもの受験以上に、母親になってからのいちばんのストレスだったかもしれません。このときに生えてきた白髪の場所がわかるほどです(笑)。

 

── お子さんたちの学校も大変だったのではないですか?

 

羽野さん:そうですね。子どもたちも同級生のマスク姿しか知らずに、卒業してしまうことになりました。高校の入学式も両親のうちどちらかしか出席できず、文化祭や体育祭も見学できないことも。長女の采明(あやめ・20)が部活で続けていた和太鼓も全国大会の実力がついたのに中止になり、最後の目標がかなわず落胆していました。

 

家庭内では、サブスクなどの映画や音楽を子どもたちと楽しむようになりました。長男の元聖(もときよ・18)がYouTubeのおすすめに出てくる、私が青春時代に聴いていた80年代洋楽ロックを好きになり、KISSの東京ドーム公演に2人で行けたことはよかったです。

 

采明さん、弟の元聖さんと羽野晶紀さん(2017年)
采明さん、弟の元聖さんと(2017年)

家族からは“おもしろい人”だと…

── 2001年に元彌さんと結婚して20年が過ぎましたが、振り返っていかがですか?

 

羽野さん:なんだかあっという間でしたね。大変なこともありましたけど、私はポジティブな性格なので、深刻にとらえないで、この経験を次に活かそうと思ってきました。

 

だから私は家族4人のなかでいちばん、マイペースで、“おもしろい人”だと思われています。自分では計画的に行動しているつもりなのですが。

 

── たとえば、どんな行動を家族から指摘されますか?

 

羽野さん:う~ん…車で移動中に、子どもたちが聴いている流行の曲をうろ覚えのまま歌って、「よくそんなに間違えながら大声で歌えるね」と言われることもあります(笑)。

結婚1年前から仕事を整理して

── 20年前に結婚しようと思ったときに、伝統芸能の旧家の嫁になることに迷いはありませんでしたか?

 

羽野さん:そういうことにはまったく無知のまま、嫁入りしたようなものでした。結婚する1年くらい前から、実家に戻り仕事を整理しながら、着付けとお茶の教室には通いました。着付けはともかく、お茶の世界は奥が深く、実世界でも役に立つので若い人にはおすすめしたいですね。

 

実際に、家庭でお茶をたてることはほとんどなかったのですが、器などのものを丁寧に扱うとか、お水場などでジャバジャバと音をたてない、というような気づかいが身につきます。

 

家族4人での羽野晶紀さん(2011年)
家族4人で(2011年)

結婚するからには区切りを

── そのような結婚への準備を進めて、仕事への未練はありませんでしたか?

 

羽野さん:結婚しようと思うからには、お相手のご都合もあります。特に私たちの仕事はたくさんの人が関わり、迷惑をかけることになるので、前もって整理を進めました。

 

時代もあったのだと思います。所属していた「劇団☆新感線」の歴代の看板女優さんは結婚すると辞めていたので、それに対する憧れがありました。

 

芸能界でも山口百恵さんらが結婚とともに引退するのをテレビでみてきたので、それが素敵だと思っていました。

 

松田聖子さんは、子育てをしながら仕事を続け、輝き続けることを実践してくださり、多くの女性に勇気を与えてくださったのではないかと思います。

 

私は長女が小学生になるまでは主婦をしていましたが、もしかしたら、その後の活動ぶりは「バラエティ・ママタレント」のはしりと言えるかもしれませんね(笑)。

 

── お子さんが手を離れてから仕事に復帰したいと思うようになりましたか?

 

羽野さん:長女が小学校に入るまでは専業主婦でした。その後、仕事の依頼があったことには驚き、うれしかったですね。独身のときにガムシャラにやり、よい現場に恵まれていたのだと思います。

 

長女も狂言の稽古を続けていますが、特に女性は結婚や出産をすると、環境に変化があるかもしれません。だから、やるからには悔いの残らないように打ち込みなさいと言い聞かせています。そうすれば、スパッと気持ちを変えて、次の環境に移ることもできるからです。

 

私の場合は結婚前に、誰にも最後だとは言わずに、ひとつひとつの仕事を楽しくやりきれたので、家庭に入ることに後悔は残りませんでした。

 

PROFILE 羽野晶紀さん

はの・あき。1968年、京都府生まれ。大阪芸大在学中から関西のバラエティ番組や劇団で活躍。2001年に狂言師の和泉元彌さんと結婚後は、休業。復帰後は、ドラマや映画などでも活躍。1女1男。

取材・文/CHANTO WEB NEWS 写真提供/羽野晶紀