「レコーディング中に抜け出したこともありました」と語る、荻野目洋子さん。「ダンシング・ヒーロー」の大ヒット後、さらに仕事へのプレッシャーが増していきます。2001年に結婚後、山梨で子育てをしながら過ごした2年間で感じたことは。

知り合いもいない環境に引っ越し

── 2001年に結婚された後、しばらくお仕事はセーブされていたのでしょうか?

 

荻野目さん:仕事をまったくしないって決めていたわけではないですが、子育てに集中していたら4年くらい経った感じです。

 

夫は元テニスプレイヤーですが、夫が仲間と一緒に山梨でテニスアカデミーを経営していたときは、山梨に2年くらい住んでいた時期もありますね。

 

── 山梨は、今のようにお子さんが3人いらっしゃるときですか?

 

荻野目さん:まだ2人目だったかな…、そう2人目が産まれたばかりの頃ですね。知り合いもまったくいない環境に引っ越しましたが、新しい土地に行くことは全然苦じゃなかったです。子どもの頃に何度か引っ越しを経験していますし、何より空気や水も綺麗で、果物も美味しいし。

 

── 桃とかぶどうも豊富にありそうです…!

 

荻野目さん:すぐ近くに畑があって、巨峰とか東京で買うよりもずっと手頃な値段で買えるんです。近所に温泉もいくつかあって、地元の人が行くような小さい温泉とかけっこう行ったし。髪の毛も肩のあたりまで長さがあったし、子どもと一緒にいると私だって全然気づかれなかったですね。緑も豊かで、穏やかで素晴らしい時間でした。 

「息が詰まる」とスタジオを抜け出した10代の頃

── 東京にいたころは、毎日お仕事が忙しかったと思いますが、山梨ではだいぶ環境が変わったのではないでしょうか?

 

荻野目さん:子ども時代は千葉とか埼玉の自然豊かな場所で育ってきたので、逆にそういった場所のほうが落ち着きました。むしろ、10代、20代で忙しかった時期は、窓のないレコーディングスタジオとか、テレビのスタジオにいて、むしろそっちのほうが「ウッ」っと息が詰まっちゃうようなときもあったので。

 

ストレスが溜まっていたのでしょうね。あるとき夜遅くまでレコーディングが続いて、息が詰まって限界だ!と感じて、スタジオを抜け出して帰ったこともあるんですよ。10代の頃、ちょっとした抵抗で(笑)。

 

──「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットして、かなり多忙になっていかれた時期でしょうか。

 

荻野目さん:何でもそうかもしれませんが、売れるまでより、売れてから、それを維持することのほうが、プレッシャーがあったりします。今でも思うんですけど、グループで活動する方はグループの苦労もあると思うんです。でもソロでやっていると、プレッシャーも全部自分の肩で背負い込むことになるので、それはすごく辛い時期もあって。どうしてもこの業界って、数字で評価されるじゃないですか。何万枚売れた、売れなかったとか、常にそういったことが評価されるので。人間性も含めて、あぁ、自分はもうダメなんじゃないかって本当に追い込まれて。

 

普通なら大学を卒業するくらいの年齢…、22歳くらいに、1回仕事を終わりにしたいって思ったときもあるんです。そんなに器用な性格でもなかったし、もうちょっと楽に考えて、たとえばお友達と会う時間をつくるとか、とにかく外に出るとか。

 

ただ、実際忙しかったこともあるし、次の日のセリフを覚えなきゃとか、ドラマと掛け持ちしていた時期もいっぱいあったので、うまく気分転換ができない時代もありましたね。だから、結婚して山梨に住んだ2年間は、自分にとってフラットになれた、必要な時間だった気がします。

ちょっと世界が偏っていた気がする

── お仕事に対して、焦りとかはなかったですか?

 

荻野目さん:全然っ、なかったです!むしろ、人間として、たりなかった部分を一つひとつ、ポコ、ポコ…って補っていたような時間でした。15歳でデビューして、ひとつの世界のなかだけにいると、どうしても視野も狭まっちゃうじゃないですか。業界の知識は増えるけど、人として成長していく時期に、ひとつの世界しか知らないっていうのは、ちょっと世界が偏っていた気がするんですよね。本当に多忙な時代は、たとえば銀行の振り込みとか、そういった当たり前のこともやってなかったし。

 

それが、夫と出会ってから、日常生活一つひとつが新鮮でした。

 

── 芸能界の方によっては「当時は電車の乗り方がわからなかった」といった話を聞いたこともありますが、その辺りはいかがでしたか?

 

荻野目さん:電車とか公共の乗り物は大好きなので、そういうのは当時から普通に乗ってたんですよ。山手線とか。

 

── 山手線に、荻野目さん、乗ってらっしゃったのですね…!

 

荻野目さん:昔から全然普通に乗るし、バスにも乗るし、大好きなんです。そういうのは普通にやるんですけど、銀行や役所関係の書類、あと結婚して夫の関係者にお礼状を書いたりするんですが、そういった当たり前のことがとにかく新鮮でした。

 

── 山梨の2年間も、結婚後の4年間も大事な時間だったのですね。

 

荻野目さん:ひとりの人間として、必要な時間だったと思います。

 

PROFILE 荻野目洋子さん

1984年デビュー。1985年シングル「ダンシング・ヒーロー」が大ヒット。2017年は大阪府立登美丘高校ダンス部とのコラボレーションで話題を呼んだ。4月に本人作詞作曲「Bug in a Dress」アナログレコード版が発売しライブも開催。

 

取材・文/松永怜 撮影/阿部章仁