91年に人気絶頂期で渡米した野沢直子さん。野沢さんのお父さんは、結婚歴が4回あり、さらに3つの家族を同時進行させるなど、野沢さんいわく、破天荒な人生を歩んでいたと語ります。父に対して複雑な感情を持ちながら、野沢さんが変化していった感情とは。(全5回中の2回)

制服を買うお金もない

── 野沢さんは、東京の日本橋にご実家があったそうですね。

 

野沢さん:日本橋と聞くと場所柄、裕福な家庭と思われがちですが、私が住んでいたのは長屋で、中学生くらいまでは実家は貧乏でした。というのも父親は事業を起こしては潰して、を繰り返していたんです。

 

父は、ひと言でいえば「昭和の男」。とにかくパワフルでギャンブル好き。女性関係が派手で着るものも派手。お酒も好きでよく飲んで、おもしろいネタを話してくれました。そうかと思えば、意外と健康には気をつかっていてマラソンしたり、朝から肉を食べたりしていました。

 

── お父さんはどんな仕事をされていたのでしょうか?

 

野沢さん:あるときは朝鮮ニンジンの顆粒を作り販売したり、競馬の予想を伝える会社を興したりと、いろいろです。

 

野沢さんの子ども時代 破天荒だったというお父さんと

ただ、仕事で忙しかったのか、遊びで忙しかったのか…。父は、土日は家に帰ってこないことが多く、年末年始も家にはいませんでした。次々と事業を思いつきやってみるものの失敗して借金を作り、ついには借金を踏み倒したまま失踪してしまって。私が11歳のとき、父は半年くらい家に帰ってきませんでした。

 

しかも、父が家に帰って来ないことで生活費がたりず、母が「直子の中学の制服を買えないかもしれない」と言いだして。母の言葉を聞き「もし制服が買えなかったら、私は小学校のときの体操着姿でいくしかないのかな…」と、とても心配になりました。

 

母はというと、父が「一発当ててやる!」宣言を誰よりも信じて、愛情深く見守っているところもあり、それほど気にはとめてないようでした。

 

その後、父はある日突然ふらっと帰ってきて、母も何事もなかったかのように受け入れていました。今、思い返すと、母は妻であると同時に、父の熱狂的な信者のようだったなと思います。

 

── しばらくすると、お父様は事業で成功されたそうですね。

 

野沢さん:ちょうど私が中学を卒業するくらいの頃、父も競馬の予想を伝える会社が大当たりしました。おかげでビルを所有したり、逗子に別荘を持ったり、豊かな暮らしができるようになりました。母は、直接口には出さなかったものの、父のことも私のことも誇りに思っていて、ただただ嬉しそうでした。

 

── ちなみにお父様は、自宅にいないときはどちらにいたのでしょうか?

 

野沢さん:別の女性の家です。母も予想はしていたようです。父は本当に自由奔放で、よく母も「パパは海外に別の家庭があるかもね」なんて冗談ぽく言っていたんです。

 

その後、母は病気のため、54歳で亡くなりましたが、父は母が亡くなった後に、3回も別の人と結婚をするんです。

    

1人目の再婚相手はお隣の国の方です。もともと婚外家庭があって子どももいました。母が亡くなって半年後、父との間の子どもを連れて日本に来て、再婚。こちらの女性は私よりたった5歳年上の方で。数年後、離婚。

 

2人目は、年の近い日本人の方と再々婚。数年後に離婚。3人目は、実際は籍は入れてなかったようですが、このとき父が70代で、お相手は20代。

    

私が日本に帰国するたびに、父の家族が変わっているから、もうついてけなくて(笑)。

「死んでほしい」とまで思ったけれど…

野沢さん32歳のとき

── 野沢さんは、お父様についてどう感じていたのでしょうか?

 

野沢さん:家庭をかえりみず、常に自由奔放に生きる父のことは許せませんでした。とくに、自分が子どもを産んでからはその気持ちが強くなって。子どものことを半年間も放り出しておくなんてありえないですよね。晩年、日本に帰国の際に実家に滞在している間は喧嘩が多かったです。

 

父親に対して「早く死ねばいいのに!」と思ったことは、一度や二度ではありません。ただ、父が亡くなる少し前、父の面倒を見てくれていた弟からさらに「父が弱っていて、危ない」と連絡があったんです。

 

あんなに元気だった父です。弱っている姿を見るまでちょっと信じられなくて。実際に弱っている父を見たら、死なないでもらいたいとか、急にやっぱり思って。血の繋がりの不思議なところというか。

 

── お父さんは、おいくつでお亡くなりに?

 

野沢さん:81歳でした。死んだときは、所持金がたった数千円。破天荒で家族をふりまわしてばかりの父で、本当に大変でした。そんな父でしたが、小学生だった私に「これからの時代は女性も手に職だ」と教えてくれたことには感謝しています。

 

昔は「女性は結婚することがいちばんの幸せ」と考える人が多かった時代。そんなときに、父の考え方は斬新だったなと思います。父の言葉があったから早くから自立への意識が芽生えたし、今も仕事を続けられています。

 

PROFILE 野沢直子さん

東京都出身。超人気コント番組『夢で逢えたら』などに出演。人気絶頂期に渡米を決意。アメリカ人の彼と国際結婚し現在アメリカ在住。長女は格闘家の真珠野沢オークレアー。『老いてきたけど、まぁ~いっか。』(ダイヤモンド社/野沢直子)。

 

取材・文/間野由利子