「小さいときから歌手になるのが夢でした」と話すのは、AKB48・JKT48でアイドル活動をしていた近野莉菜さん。2018年に芸能界を引退し、現在は女性アパレルブランド『CELFORD(セルフォード)』のプレスに。歌手を目指していた子ども時代や、ダンスに苦労した研究生の頃のことなど、お話を聞きました(全4回中の1回)。

 

元AKB48の近野莉菜さん
アイドルからキャリアチェンジし、現在はアパレルブランドで働く近野さん

レッスンに通い有名CMソングにも参加した子ども時代

── 14歳でAKB48オーディションに合格し、JKT48では「神7」入りを果たすなど、現在のお仕事に就く前はアイドルとして活動していました。アイドルを目指したきっかけは?

 

近野さん:物心ついたときからアイドルというより「歌手になりたい」と、芸能界への憧れがありました。両親も、そうした活動をさせたい気持ちがあったようで、幼稚園のころはおもちゃのマイクを持って歌ったり、踊ったりしていましたね。

 

祖父母の家にはカラオケセットがあり、たぶん私が歌うのが好きなので設置してくれて、小さいときから歌を披露する機会がたくさんあったのが、きっかけだと思います。

 

小学生になってからは学校の合唱団に参加するなど、「歌が上手くなりたい!」という気持ちは、ちっちゃいころからありました。

 

元AKB48の近野莉菜さん
自社ブランドの服を素敵に着こなす姿がプレスならでは

──『キユーピー あえるパスタソース たらこ』など、CMソングにも参加していたそうですね。

 

近野さん:同じ小学校に偶然、CMの歌の仕事をしている男の子がいたんです。CMなど子どもの歌唱や声が求められる場面はけっこうあって、「興味があったら、やってみない?」と誘ってくれました。

 

『たらこ・たらこ・たらこ』のほか、ピザや車など、いろいろなCMで歌っていましたね。

 

── 子役などの事務所に入られたのですか?

 

近野さん:事務所ではなく、合唱団とは別にスクールで歌のレッスンを受けていて。スクールにオファーが来ていたようで、その紹介からお仕事をする形でした。

劇場最速デビューも未経験のダンスで毎日パニック

── AKB48のオーディションは、どういう経緯で受けたのでしょう?

 

近野さん:個人レッスンのスクールだったので交流はなかったのですが、同じスクールに「AKB48オープニングメンバーオーディション」に合格した中村(旧芸名:増山)加弥乃ちゃんがいて、オーディションがあることを知りました。

 

当時はまだAKB48が大きくなる前でしたし、都内に住んでいても秋葉原には行ったことがなく、「どんなところなんだろう?」という感じ。歌手を目指すうえで、オーディションは「通過点のひとつ」と考えていたところがあります。

 

ダンス審査と歌唱審査があり、歌には自信があったのですが、ダンス審査が先。通過しないと、歌唱審査に進めないので必死でした(笑)。

 

元AKB48の近野莉菜さん
休日のリラックスモードも素敵な近野さん

── ダンスは未経験でも、劇場デビューまでは2か月。かなり苦労されたそうですね。

 

近野さん:小原春香ちゃんと一緒に劇場デビューしました。これは同期で最速だったのですが、私はダンスではなく歌で評価していただいた形でした。ダンスは地域のダンススクールみたいなところで、「少しやったことがある」くらい。本格的には習ったことがなく、ほぼ未経験で研究生になったんです。

 

本当に下手すぎてダメ出しされまくりでしたから、めちゃくちゃ大変(笑)。先生も厳しく、怒られるのが怖すぎて、レッスンのときからドキドキでした。

 

── 公演は何曲もありますし、研究生だとアンダー(代役)のために、たくさんのパターンを覚えないといけないのですよね?

 

近野さん:そうなんです。ダンスだけじゃなくて、立ち位置も複数、覚えないといけない。

 

劇場のステージは狭く、大人数でパフォーマンスするので、フォーメーションを間違えたらみんなに迷惑がかかり、大変なことになってしまいます。歌詞も覚えないといけないし、毎日パニックでしたね。

正規メンバー昇格が遅れても、こだわったチームK入り

── 研究生としての劇場デビューは早かったですが、正規メンバーになるまでは長かったですよね。

 

近野さん:AKB48グループに合格すると、グループが運営する事務所に入ります。活躍すれば一般の芸能事務所から声がかかり、移籍して活動の幅が広がっていく。正規メンバーになるタイミングが多いのですが、私の場合は先に別の事務所に移籍していました。

 

研究生には「セレクション審査」というのがあり、不合格になると強制的に卒業です。「もう移籍しているのに、セレクションで落とされたら…」と、かなりプレッシャーがありました。

 

── 一緒に活動する仲間であると同時に、全員がライバルという状態。

 

近野さん:自分のことに必死で、ライバル心でバチバチする…みたいなことは、なかったです。

 

ただ、正規メンバーになれない期間が長いと、後から合格した後輩に先を越されることもあります。そういうときは、すごく葛藤があったし、悔しい気持ちになりましたね。

 

元AKB48の近野莉菜さん

── そうした状況で、どうモチベーションを保ったのでしょう?

 

近野さん:研究生としていろんなチームに参加するなか、正規メンバーになるときに、どうしても入りたいチームがあったんです。AKB48は、選抜上位の人が多いチームA、ポジティブな元気キャラのチームK、「これぞアイドル」な人の多いチームBと、チームごとに特色がありました。

 

そのなかで、チームカラーが自分に合っていて、公演に参加していていちばんやりがいを感じるチームKに入りたい。早くからMCでも「チームKに入りたいです!」と言ってアピールしていましたが、16人の定員枠に空きが出なくて…。

 

正規メンバーになるのが遅れても、チームKに入れる機会を待ちたいと考えていたので、気持ちが切れることはなかったです。

 

── 念願のチームK入りで正規メンバーに昇格。でも短期間で、チームBへ異動になりました。

 

近野さん:チームKでの活動に、すごく充実感を覚えていたのに、半年たらずのタイミング。ずっとチームKにこだわっていたので、武道館での「AKB104選抜メンバー組閣祭り」で異動が発表されたあと、ショックで過呼吸になりました。

 

今思えば、みんなのことを考えての組閣や異動とわかります。チームBのアイドル像と、私が思い描く自分の姿を「合わない」と思い込んでいただけで、実際チームBでの活動も楽しめました。

 

だけど、当時は若かったので(笑)、やっと入れたチームKからの異動で「もう終わった…」と思ってしまったんです。

 

PROFILE 近野莉菜さん

1993年東京都出身。2007年「AKB48 第二回研究生(5期生)オーディション」に合格し、AKB48、JKT48で活躍。2018年にAKB48グループを卒業し、芸能界を引退。現在はアパレルブランドのプレスとして働いている。

 

取材・文・撮影/鍬田美穂 画像提供/近野莉菜