「もうすぐ産まれるたい!」名前は「愛」に

血の繋がり以上に、大きな愛に包まれていたと語る川嶋さん

── その後、川嶋さんが16歳のときに育ての親である、川嶋家のお母さまが亡くなりました。出生の詳細について調べる機会もあったそうですね。

 

川嶋さん:私が19歳のとき、自叙伝を書くことになったんです。いちから戸籍を取ったり、子どものころに過ごした施設に足を運んで、当時お世話になった先生に話を聞いてみたりしました。

 

── 川嶋さんの産みの母の、親友の方ともお話ができたそうですね。

 

川嶋さん:産みの母は、22、3歳ぐらいで亡くなったと聞きました。

 

驚いたのは、産みの母の話を聞いていると、川嶋家の母の生き写しかなっていうくらい、産みの母と川嶋家の母の性格がすごく似ていたんです…!

 

川嶋家の母親は、豪快で世話好きなパワフルな人でした。いっぽう、産みの母も、豪快でエネルギッシュで積極的な人だったようです。

 

そうそう、産みの母の親友の方が、母が私を産むときに書いた手紙を見せてくれたんですよ。

 

「もうすぐ、産まれるたい。名前は、愛ってつけようと思っとる。たくさんの人に愛されて欲しい」と言ったようなことが、手紙にギッシリ書いてあって。手紙は1枚じゃなくて、たくさんの手紙やハガキに、私への気持ちが書いてありました。

 

── 思いが詰まっていた。

 

川嶋さん:自分の命と、運命の軌跡を感じてしまいましたよね。

 

「愛」という名前は、産みの母親がつけてくれた名前で、その「愛」という名前を、川嶋家の両親が受け継いでくれた。

 

そう考えると、私を産んでくれた母が、まず私の命のバトンを繋いでくれた人。その命のバトンを、川嶋家に繋いでくれた。世の中から孤立しそうな私を、奇跡の出会いで巡り合わせてくれた。とても不思議な運命を感じて、私はむしろ幸せなんじゃないかなって思いましたね。

 

それまでは、血の繋がりとか、16歳で川嶋家の母を失って、なんでこんなひどい運命なんだろうって思う日もありました。でも、産みの母も川嶋家の母も深い愛情を注いでくれた。そう思えたら、少し暖かい気持ちになれた出来事でした。

 

PROFILE 川嶋あいさん

1986年生まれ。福岡県出身。シンガーソングライター。2003年にI WiSHのaiとして人気番組の主題歌「明日への扉」でデビュー。2006年からは本格的にソロ活動をスタート。代表曲としては、「My Love」「compass」「大丈夫だよ」「とびら」などがある。

 

取材・文/松永怜 撮影/阿部章仁