嘘をついて笑わないといけなかった

12歳のときに血の繋がりがない事実を知ってしまったと語る川嶋さん

── どのように、お母さまと元のように会話をしていかれたのでしょうか?

 

川嶋さん:母は、次の日になったら引きずることなく、いつもの明るく元気な母に戻ってたんです。いつも通り朝食を作って、いつも通り世間話をしてきて。

 

私は…翌日はちょっと気まずいというか、ツラいなぁと思いながら母を見ていたんですけど。

 

でも、その後も母はずっと変わらずに、深い愛情を注ぎ続けてくれました。

 

書類を見つけた日は、衝撃が強くて記憶が曖昧な部分もあります。

 

でも、「愛は、お母さんの娘やけんね」っていうセリフだけは、今でもハッキリ覚えてるんです。「いや、本当のお母さんじゃないやん…!」ってすぐには受け入れられなかったものの、次第に、この事実ってどうでもいいのかなって思えてきて。

 

血の繋がり以上に、母の大きな愛情に包まれていたんだと思います。

 

結局、書類を見て以降、母とは1回も出生に関する話はしなかったですね。自然といつもの親子に戻れた感じでした。

 

── 学校や周りの友達には、そういったお話はされましたか?

 

川嶋さん:母は、私が16歳のときに病気で亡くなりましたが、それまでは本当に仲のいい1人、2人にしか言わなかったですね。

 

多分、「絶対言わんとこう…!」みたいな意識はあったと思います。自分が恥ずかしいとか、大変な運命を背負ってる人、かわいそうだって思われたくない。強がりや、いじっぱりもあった気がするし、同情もされたくなかったと思います。

 

母との関係を受け入れたつもりでも、「なんで自分は…」って、葛藤することもありましたし。特にツラかったのは、事実を知った後です。周りから「似てないね」って突っ込まれるたびに、出生の事実を思い出すし、「そう、似てないっちゃ…!」って嘘をついて笑ってるのは、ツラかったですね。