嘘をついて笑わないといけなかった
── どのように、お母さまと元のように会話をしていかれたのでしょうか?
川嶋さん:母は、次の日になったら引きずることなく、いつもの明るく元気な母に戻ってたんです。いつも通り朝食を作って、いつも通り世間話をしてきて。
私は…翌日はちょっと気まずいというか、ツラいなぁと思いながら母を見ていたんですけど。
でも、その後も母はずっと変わらずに、深い愛情を注ぎ続けてくれました。
書類を見つけた日は、衝撃が強くて記憶が曖昧な部分もあります。
でも、「愛は、お母さんの娘やけんね」っていうセリフだけは、今でもハッキリ覚えてるんです。「いや、本当のお母さんじゃないやん…!」ってすぐには受け入れられなかったものの、次第に、この事実ってどうでもいいのかなって思えてきて。
血の繋がり以上に、母の大きな愛情に包まれていたんだと思います。
結局、書類を見て以降、母とは1回も出生に関する話はしなかったですね。自然といつもの親子に戻れた感じでした。
── 学校や周りの友達には、そういったお話はされましたか?
川嶋さん:母は、私が16歳のときに病気で亡くなりましたが、それまでは本当に仲のいい1人、2人にしか言わなかったですね。
多分、「絶対言わんとこう…!」みたいな意識はあったと思います。自分が恥ずかしいとか、大変な運命を背負ってる人、かわいそうだって思われたくない。強がりや、いじっぱりもあった気がするし、同情もされたくなかったと思います。
母との関係を受け入れたつもりでも、「なんで自分は…」って、葛藤することもありましたし。特にツラかったのは、事実を知った後です。周りから「似てないね」って突っ込まれるたびに、出生の事実を思い出すし、「そう、似てないっちゃ…!」って嘘をついて笑ってるのは、ツラかったですね。