「人前が嫌いで、テレビカメラをみつけると避けていました」と、アスリート時代を振り返る寺川綾さんが、引退後に進んだのはスポーツキャスターの道。いちばん苦手と思った仕事なのに、「やりがい」に変わった瞬間があったそう。何が起きたのでしょうか。
人前が苦手なのに「キャスター」の仕事を依頼されて…
── 現役を引退されたあと、スポーツキャスターに転身されました。選手時代から「伝える仕事」には、関心があったのですか?
寺川さん:じつは、まったく関心がなかったんです。ゼロというか、むしろマイナスなくらい。
アスリートとしてたくさん取材を受けたり、テレビにも出演させていただきましたが、人前に出て話すのは得意ではなく、とにかくカメラが苦手でした。
プールサイドにテレビカメラが来ていると、わざわざ避けて歩いていたほどです。
ですから、「スポーツキャスターをやってみないか?」と声をかけられたときも、自分に向いているなんて、とても思えなくて…。
── それは意外でした。どんな心境の変化がキャスターの道に進んだのでしょう?
寺川さん:周りの方たちに背中を押してもらい、なんとか一歩踏みだすことができたというのが正直なところです。
所属しているミズノのスタッフや周りでサポートしてくださっていた方たちから、アドバイスをいただいたんです。
「スポーツキャスターは、どれだけ自分がやりたいと思っても、声をかけてもらえないとできない仕事。せっかくもらった貴重なチャンスだから、“嫌だからやりません”、“自分にはムリ”と、最初から拒否するのではなく、まずはやってみたらどう?」と。
それで私も「それなら挑戦してみようかな…」と思うようになりました。
── カメラに慣れるまでは大変だったのでは?
寺川さん:いえ、いまもまったく慣れないですよ(笑)。カメラもそうですが、私は大阪出身で、ふだんは関西弁なので、ふとした瞬間に関西弁のイントネーションが出てしまうんですね。
何度か注意を受けたのですが、なかなか直らず、途中でアナウンス学校にも通いました。