「電話で、メールで」改善案を上司に出し続けて
50歳にして初めて組織で働くことになった藤﨑さん。知らないことばかりで、とまどいも大きい毎日でした。
「店舗で研修を受け、接客などは教えてもらいましたが、事務的なことは未知の分野。たとえば、コピー機は使えるけれど、PDFの出し方はわかりませんでした。
周囲もまさか、企業再生という大きなミッションを担う立場で入社した私が、ビジネスの初歩も知らないとは思わないじゃないですか?
だから、誰も教えてくれないし、ひとりでこっそり調べていました。私は39歳まで専業主婦。その後、アパレル店長、居酒屋経営と経験しましたが、何事も自分の裁量で決められる環境にいたんですね。
それが組織で働くとなると、勝手が違って。毎日のように、“もう辞めたいな”と思っていました。
でも、それまで経営していた居酒屋はスタッフに任せているし、常連のお客さまたちからも、何十回も送別会をしてもらった手前、いまさら戻れなくて。悶々と過ごしていましたね」
当時、厚木店の店長や東日本地区のスーパーバイザーなどを経て、藤﨑さんが感じていた会社の課題は“社内の風通しの悪さ”でした。
社風を改善しようとする空気はあったものの、上層部が決めたことを店舗に一方的に伝達するトップダウンで、現場の声が届かないのがもどかしかったそうです。
じれったさを感じていた藤﨑さんが積極的に行動するようになったのは、会社の決算を見たときでした。
居酒屋の経営であれば、すぐに店が潰れてしまうレベルの数字の悪さに「これはまずい」と顔面蒼白に。
“なんとかしなくては…”と思った藤﨑さんは、「意見を言える立場にしてほしい」と経営陣に掛け合います。
「当然、断られましたね。そのときの私は、まだ何の結果も出していなかったから当たり前ですけど。でも、どうしたら売上げを上げられるか、改善案や企画をたくさん出しました。
たとえば、店舗管理の改善策、出店エリアについてなどです。どうにかしたいと、ドムドムハンバーガーに誘ってくれた専務に電話で熱く語ったり、長文のメールを送ったりしたこともありました」