「私がいなくなったときに生きていけるように」
小学生の子どもたちが責任をもって同じことを1か月以上こなすのは、決して簡単なことではありません。なぜそれができたのでしょうか。
せせらぎさんがまず大事にしたのは、中途半端にやらせないこと。例えば、お皿洗いをしてもらうときは、お皿を流し台に運ぶ・洗うのはもちろんのこと、洗い終わった後に流し台を拭く、残り物をタッパーにしまう、調味料を片づけるといった、副次的に発生する家事もすべて子どもたちに任せました。
「子どもにやらせるより大人がやったほうが早いので、つい、手を出したくなるときもあります。でも、きっと子どもも物理的に無理でない限り、時間をかければなんだってできてしまうのですよね。だからこそ手を加えようとしてしまう自分に対し、いかんなあと思うこともあります」
回数を重ねると、子どもたちも「残り物が出ると片づけが面倒」「食器を出すと洗い物が増える」といったことを身をもって経験し、どうすれば洗い物が減るのかなどを考えられるようになりました。
そして、家事が終わったあとには、「本当にありがとう」と感謝を伝えることを忘れません。こういった積み重ねのなかで、子どもたちのなかに「やれる」「役に立ってる」という気持ちが芽生えたそうです。
また、せせらぎさんは「いざというときに任せられるようにしたい」と言います。
「私はひとり親なので、私がいなくなったときに子どもたちが生きていけるように、早い段階でいろいろと身につけておいてあげたいと思っています」
とはいえそれぞれのお子さんについて、こうも話しています。
「ただ、けーくん(長男・小3)には発達障がいがあり、苦手なことが少なくありません。その全部の負担をしーちゃん(次男・小1)に強いるのはかわいそうだとも思っています。それぞれに焦って何かをやらせようとは思っていません」
自分がやらずともできているか見守らなければならない。本当は自分がやったほうが早いし確実だけれど、この子たちの将来のためにはならない。
現在せせらぎさんのお子さんたちは、これらの家事以外にお風呂の排水口掃除や、子どもたちだけでのおつかいなどもできるようになっているそうです。
「あくまで共同生活をする対人間として、私は子どもだからとバカにしないし、親だからと甘くみないでほしいとも思っています」
この“対等”は、意識しなければ継続できないこと。そして意識しつづけることは、とても根気のいること。
わが子のためにできる優しさについて、とても深く考えさせられるお話でした。
取材・文/可児純奈