一時期までは教育ママだった
── “ママでいることが一番苦手”というあゆみさんですが、どんな育児をしていましたか?
あゆみさん:
自分でも滑稽なのですが、シングルマザーの気負いだったのか、こんな私が、一時期までは教育ママだったんですよ。
でも、私のDNAを受け継いでいる以上、強制してやらせても無理だなと思い(笑)、それからはやめました。
── あゆみさんといえば、歌手を目指してひとり上京。定時制高校に通い、年齢をごまかして貴金属などを売りながら生計を立てていましたね。
あゆみさん:
私に似て、娘はぶっ飛んだところがありましたね。小学校後半から中学にかけては、学校からガンガン電話がかかってきました。
私が韓国に遠征中も携帯にかかってきて、あわてて娘に連絡すると“学校に行きたくなかったから、ディズニーランドにいる”と(笑)。
高校と大学はプレゼンさせた
── 教育ママをやめ、放任主義になったのですか?
あゆみさん:
というより、興味あることを一緒に探してあげる感じでしたね。
私は、しわがれた声がコンプレックスでしたが、これが個性として認められたように、何がきっかけで才能に結びつくかがわかりません。
ただし、高校と大学選びは、行きたいのであれば、娘に自分で調べさせて特徴や学費などをプレゼンさせるようにしました。
高校生のときにDJに興味をもち、機器を購入するときも、それぞれの機器がどう必要なのかをプレゼンさせました。
私が最新の音楽を聴くことができるという項目もありましたね(笑)。
娘が渋谷のクラブでDJライブをするときも、赤字が出たときのためにアルバイトをして資金を貯めていたので、そういう計画性は身につきました。
だから私みたいに、表に出るというよりは裏方タイプの人間なのかもしれません。