「日本一やかましい祭り」として知られる「石取祭」で有名な三重県桑名市にある春日神社。毎年8月の第一日曜日になると、日本各地から40万人以上の人々が集まります。この春日神社に長い間眠っていた「お宝」を巡って、今、神社がかつてない盛り上がりを見せているとか。春日神社の不破義人宮司に伺いました。

「刀剣の展示」で博物館の入館者数が約10倍に

── 今、春日神社にお祭りの時期以外にも多くの人が足を運んでいると聞きました。何が起きているのでしょうか。

 

不破宮司:
今春から、名刀「村正」の写し(複製品)の展示を春日神社で始めました。クラウドファンディングで集めた資金を使って、2年がかりで完成したものです。展示を始めてまだ3か月ですが、すでに約1500人が足を運んでくださっています。

 

「日本一やかましい祭り」の石取祭でおなじみの桑名の春日神社
「日本一やかましい祭り」の石取祭でおなじみの桑名の春日神社

いらっしゃっている人たちの多くが「刀剣女子」と呼ばれる方々です。刀剣女子とは、名刀を男性に擬人化した「刀剣男士」を育成するゲーム『刀剣乱舞』で刀剣に魅了された女性ファンを指します。

 

『刀剣乱舞』については私もよく存じ上げないのですが、聞いたところによると、作中には、桑名生まれの名刀「村正」を擬人化した「千子(せんご)村正」というキャラクターが登場するそうです。物語の重要なポイントで出てくる非常に人気のある人物だそうです。

 

境内には「村正」「桑名江」「小鳥丸」などキャラクターの名が書かれた提灯がずらりと並ぶ。刀剣女子からの寄付も多い
境内には「村正」「桑名江」「小鳥丸」などキャラクターの名が書かれた提灯がずらりと並ぶ。刀剣女子からの寄付も多い

── なぜ写しを作ろうと?

 

不破宮司:
理由のひとつが、春日神社に奉納されていた村正を「桑名の宝」として、きちんと後世に受け継がなければならないと強く思ったからです。

 

村正とは、室町時代から江戸時代初期にかけて桑名で活躍した刀工一派で、彼らが作った刀は「村正」と呼ばれています。春日神社には、戦火を逃れた太刀の村正が2口残っていますが、三重県指定文化財のため、管理と展示には制限があります。

 

後世に受け継ぐために、まずは桑名の人に村正の価値を知ってもらう必要がある。しかし、桑名に住んでいる多くの人が「桑名=村正」という事実や村正の歴史的な背景を知らないということに気づいたんです。

 

まずは「桑名=村正」ということを地元の人に知ってもらい、地域の誇りと感じてもらうために、写しを制作し、いつでも桑名で村正が見られる状態を作るためにクラウドファンディングで資金を募りました。

 

── 春日神社にある本物の村正はどんな刀なんですか?

 

不破宮司:
村正の代表作と言っても過言でない刀です。とはいえ、それを知ったのは、ここ数年の話ですが…(笑)。

 

そもそも春日神社は、由緒ある神社として知られています。桑名市は東海道の宿場町で、尾張と伊勢を結ぶ要所として栄えてきたという歴史があり、春日神社は徳川家康など尾張の武将や、本多忠勝などの歴代の桑名城主からとても大切にされてきました。明治天皇も2度泊まられています。

 

春日神社の境内の様子
春日神社の境内の様子

しかし、神社は昭和20年の戦火で全焼し、神社にあった村正をはじめとした貴重な宝物の多くが燃えてしまいました。ただ、村正のうち、太刀2口だけは少し離れた場所に疎開させていたため、奇跡的に戦火を逃れたんです。

 

その後も約70年間にわたって神社にそのままの形で大切に所蔵されていました。しかし、2015年にその刀が三重県指定文化財に指定され、2016年に初めて、桑名市博物館で「村正展」を開催し展示したんです。

 

── 2016年といえば、『刀剣乱舞』が始まり、刀剣ブーム元年といえる年です。

 

不破宮司:
当時、私は存じ上げなかったのですが、そのような背景があったようで、このとき、約1か月の開催期間で、実に1.5万人という歴代一位の動員数を記録しました。通常の展示の入館者数の約10倍です。

 

しかし、そのときに展示を観にきてくださった方から春日神社宛に「とても残念だった」と後でメールがきたんです。

 

── 「とても残念だった」とは、どういう意味でしょうか?

 

不破宮司:
実は、春日神社の村正は「漆黒の漆」が塗られていて、そのままの状態で展示していました。戦時中に刀を疎開させることとなり、しばらく手入れできないだろうと予期した当時の宮司が、刀全体に漆黒の漆を塗ったんです。普通は錆防止のため塗るのは油なので、本当に応急処置だったのでしょう。漆の塗り方もとても雑でした。

 

上が漆が塗られた状態、下が漆を剥がした後の村正の様子。綺麗な刃文が確認できる
上が漆が塗られた状態、下が漆を剥がした後の村正の様子。綺麗な刃文が確認できる

神社に届いたメールには「今は平和な時代。戦時中の漆はもう剥がしてもいいのでは」とありました。つまり「本来の刀の姿が見たい」と望んでいたのです。その意図を汲み、思いきって漆黒の漆を剥がしてみることに。そうしたら、見事な刃文が出てきて…。鏡のような白銀の輝きに驚きましたね。

 

── 貴重な刀剣ということが判明したのですね。

 

不破宮司:
そうです。刃文を観ただけでそれは明らかでした。現代の刀工も「これは村正の代表作だ」と口々におっしゃる。

 

刀の持ち手に彫られた刀工の名前をみてもそれは明らかでした。村正は刀の名前でもありますが、もとは刀工の名前です。通常は「村」と「正」の2文字が書かれますが、春日神社に残っていたその刀は、「勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作」とあり、「村正」以外にも「住んでいる場所」や「刀工の肩書き」など全15文字が書かれていました。神様に自身を記す意図があったのでしょう。