その作業、あまり意味がないのでは
ある日、義父が自分のパソコン画面を覗き込み、うんうん唸りながら悩んでいます。
どうしたのかと聞くと、「計算結果が合わないんだけど、どこがおかしいのか見てくれない?」とのこと。
見れば、義父の手元にはもう紙が古くなって黄ばんでいる書類が山積みになっています。
事情を聞くと、
長いこと預けっぱなしになっている定期預金の残高が義父の計算と合わないとか(と言っても数千〜数百円程度です)…。
クレジットカードの明細が毎月取ってあるはずなのに○年○月の分だけ見つからないとか…。
さらには、その十数年分の明細をExcelの表に入力しているが(何のために?)、その計算結果が合わないとか、表の見出しが表示されないとか、印刷しても思ったような結果にならないとか…。
いや、それ本当に必要な作業ですか??
数百円の違いなら放置しておいていいのでは??
数年前に支払い済みのクレジットカードの明細を計算し直すことに何の意味が?
最終的には終活とか関係なく、ただのExcelの悩みになっていませんか?
…という私の疑問をオブラートに包んで、なるべく優しく、その作業あまり意味はないのでは…?とお伝えしたのですが、義父には「だって計算が合わないと気持ち悪いじゃない!」と一蹴されてしまいました。
「それでもいいか」と思える理由
まあ、考えてみれば、去年の今頃は暑い最中に「庭にゴルフ練習場を作る!」と言い出し、脚立に登って鉄パイプを組んでネットを貼り、人工芝を敷き詰める作業をして家族をハラハラさせていた義父です。
クーラーの効いた涼しい室内でできることなら、まだ終活に没頭してくれていたほうがいいのかも…。
今日も義父はパソコン画面と古い書類を睨みながら、うんうん唸っています。
義父の終活、なかなか終わりそうにありません。
文/甘木サカヱ イラスト/ホリナルミ