夫(57歳)の海外赴任に同行し、これまでマレーシア、イスラエルなどで暮らしてきた田中恵子さん(仮名・56歳)は、異国でたくさんの刺激を受けました。駐在生活のなかで、自分の歩む道を見出すまでの話を聞きました。
女性が社会で活躍する姿を目の当たりにして…
田中さんがはじめて夫の駐在に帯同し、マレーシアに移り住んだのは1994年のことでした。
もともとは団体職員として働いていた田中さん。結婚しても仕事を続けたいと考えていました。実績を積み、いずれは海外で働きたいとも。
「でも当時の日本は、女性は結婚や出産をしたら仕事をやめるのが一般的。活躍している女性がいる一方、周囲の雰囲気から難しさも感じていました。
それに、貿易関係の仕事をしている夫に海外駐在が多いことは、結婚当初から理解していました。夫のマレーシアへの駐在が決まっても、仕事を続けたいという気持ちはありましたが、結局は会社を退職し、同行することにしました」
せっかく海外で暮らすのだから、その土地で何かを得たいと考え、マレーシアの大学院に入学し、2年間通います。
同級生には、現地のマレー系、インド系、中国系など多様なマレーシア人が学んでいました。
「公共政策学を学ぶ学校だったので、公務員が昇格に必要な学位を取得するために通っていたり、仕事をしながら勉強をしていたり。さまざまな人がいました。
なかでも驚いたのは、結婚して子育てをしながら働き、さらに勉強してキャリアを積む女性が多かったことです。
欧米では女性の社会進出が進んでいると聞いていましたが、アジアでも同様でした。
自分の力で人生を切り開いていく女性たちの姿がとても新鮮で、 “私も何かしたい”という思いが芽生えていきました。
駐在前、イスラエルには“治安情勢が不安定”なイメージがありました。でも、実際はのどかで住みやすい国でした。紛争の影はつきまとうものの、食文化も自然もとても豊かでした」