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上京直後に東日本大震災と父の死。どん底で出会った「食」の仕事が生きる活力をくれた

仕事

2022.01.14

料理家の河瀬璃菜さん

Twitterのフォロワーは5万人超え、「りな助」の愛称でも知られる料理家の河瀬璃菜さん。明るく元気なイメージの彼女だが、上京直後に東日本大震災にあい、その翌月には父を亡くした。相次ぐ不幸に見舞われ、一時期は生きる気力を失いそうになったという。

 

「つらいことはほとんど忘れちゃうんです」と笑う河瀬さんは、どういったいきさつで「食」の仕事と出会い、人生のどん底期から抜け出していったのだろうか。

生きる気力を取り戻してくれた「食」の仕事

「私はもともと料理の仕事に就こうと思ってたわけじゃないんです。

 

漠然と「東京で働こう」とだけ思って2011年の3月に福岡から上京した直後、東日本大震災が起こりました。そして翌月の4月に突然、印刷会社を経営していた父が突然他界したんです。

 

のほほんと上京してから、ひと月もたたないうちに周囲の状況がものすごく変わってしまいました。

 

『父を失った母にこれ以上心配をかけさせたくない。私が母を支えていかなければ』と頭では思うんですが、普通に生活しているようでそうじゃないような…実は、当時の細かい記憶はあまり残っていません。

取材は河瀬さんのキッチンスタジオで行った

そのあと、父の法事に向かうために、福岡行きの飛行機に乗ったのですが、九州に入り、眼下に福岡の街を眺めたとき、唐突に『そうだ!食に関わる仕事をしてみよう』っていう気持ちになって」

 

当時は具体的な目標はなかったが、食には楽しいイメージがあったと河瀬さん。料理好きな母親のおかげで、河瀬家の食卓にはいつも誰かがいて賑やかだったと振り返る。

ご実家の食卓(写真提供/河瀬さん)

「父の会社の人間だったり、兄や私の友達だったり、夕食の時にはいつも誰かが来ていました。

 

食事って、ただお腹を満たすだけではなく、みんなで話をしたり、楽しい場面をつくってくれるものでした。そんなイメージから、食の仕事に就きたいと本能的に感じたのかもしれません。

 

飛行機を降りてすぐに学校を調べて、次の日には入学金の40万円を振り込むって暴挙に出て(笑)。そこから今の料理家への道がスタートして今につながっています」

表に出るより裏方派。よいものを掘り起こして伝えたい

突然入ったフードコーディネータースクールから現在に至るまで、「携わった食の仕事がいろんな人と結びつけてくれた」と河瀬さんは話す。

 

「食は人をつないでくれます。おかげさまで、いろいろな仕事のオファーをいただけるようになりました。

 

ひとりで独立してやっているので、すべての仕事が受けられるわけではありません。『生きてる』って実感をもたらしてくれる仕事から受けるようにしています。

仕事への向き合い方を語る河瀬さん

商品プロデュースだったら、愛情を持てる商品を一緒に作れるか、リスペクトできる人たちが商品をつくっているのか、その周囲にいるのか。そんな感じで、熱量、愛情で仕事の可否を判断していますね。もちろんギャラも大切です(笑)。

 

5年前、鹿児島県のある水産会社からうなぎなど水産物のブランティング相談を受けたのですが、4年間は業務委託で受けていました。

 

お仕事を続けるうちに、先方の商品にかける想いや情熱がガンガン伝わってきて、うなぎ沼にズブズブはまっちゃったんです。

 

『こんなに素晴らしいうなぎをもっと世に広めねば!』と心底思ったので、私も出資し、うなぎや国内の水産物を広めるための企画会社(株)UNAKENを1年前に一緒に設立しました。

 

だから今、私個人で受けている仕事の他にも、(株)UNAKENとして、うなぎを使った商品開発や、キッチンカーでのうなぎのお弁当販売、店舗運営をしたりする仕事にも力を入れています」

 

まだまだ人に知られていない、埋もれているよいものが全国にはたくさんある、と話す河瀬さん。料理を盛るお皿のコレクションも、そのほとんどが地方で出会った作家の手によるもの。

料理を映させる器は重要。地方作家の作品を愛用している

「私は、表に出る仕事も好きですが、チームの一員としてやる仕事も好きなんです。目標が達成された時にみんなで喜べる、チームの楽しさがたまらない。

 

ちなみに今は、昆布の根っこの部分などの食材の未利用部位を活用してのご飯のお供づくりといった、サステナブル的な要素を入れた商品開発も行っています」

ジャンルを絞らず「食」に関わっていくのが私の強み

食に関する仕事は、外食、商品開発、料理教室、フードプロデュースなど、多様にある。そんななか、河瀬さん流の仕事への関わり方は、ホームランバッターを目指すわけではない。

 

「どれかに絞っている方が多いですが、私は愛情を持てる仕事だったらジャンルを絞らず引き受けるようにしています。

 

私はひとつのことを極めて120点出すんじゃなくて、いろいろなことをやって、それぞれ80点出していくタイプの人間ですから、それが自分の強みになっていると思っていて。

自身の肩書きを「食のなんでも屋」と語る

それにジャンルを絞らないことはリスクの分散にもなるんです。クライアントを一業種に偏らせないことで、何かトラブルがあった時のプレッシャーも軽くなりますし(笑)。

 

お金に固執しすぎるのはよくないですけど、それなりにないと何もできません。いざという時に自分や自分の大切な人を守ってくれるツールにもなりますから。

 

そして、食は人間にとってなくてはならないものです。生きて行く上で絶対に必要な栄養源ですし、人生を豊かに彩ってくれるもの。だから、これからも、食に関わるいろんな仕事に関わっていくつもりです。

 

今、料理家、フードプロデューサー、フードコーディネーターなどと言われたりしてますが、正確にはちょっと違うんじゃないかと思っていて。

 

“食全般に関わる仕事をしている河瀬璃菜”が私の肩書きです。あ、それじゃ肩書きにならないかもしれませんね(笑)」

 

PROFILE 河瀬璃菜(かわせりな/りな助)

1988年福岡県生まれ。料理家。フードプロデューサー。レシピ開発、商品開発、イベント・メディア出演、食品企業のコンサルティングなど食に関する様々なプロジェクトに携わる。最近では地方と連携したプロダクトに注力している。

取材・執筆/林ぶんこ 撮影/瀧川 寛

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