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震災は“家族”をどう変えるのか「石巻ウェディング」が見つめた被災地の10年

仕事

2021.03.06

格式張った挙式が当たり前の東北地方で、数々のオリジナルウェディングを実現してきた「石巻ウェディング」。ウェディングプランナー兼司会者の豊島栄美さんが、2015年に立ち上げたプロジェクトです。

 

数々の家族誕生の瞬間を見守ってきた「石巻ウェディング」。その裏にあるのは、さまざまな家族の物語です。

 

東日本大震災は、女性たちの生き方にどのような影響を与えたのか。豊島さんをはじめ、「石巻ウェディング」とつながりを持つ女性たちに話を聞きました。

「家族」の幻想から解放された挙式

豊島さんは宮城県石巻市出身。高校を卒業すると、あまり折り合いがよくなかった家族のもとを離れるため、大学進学で仙台へ、就職で東京へ。2011年は、ウェディングプランナー兼司会者としてキャリアを重ねていました。しかし…。

 

「震災で経済的に困窮してしまい、渋々Uターンしました。家族を助けるのが子どもの務めとは思いましたが、彼らとの関係がよくないままで、経済的に安定したら実家を出るつもりでした。早く結婚して子どもを産みたいと焦る気持ちもありましたし…」

 

当時憧れていたのは、「裕福でも貧乏でもない、絵に描いたようなアットホームな家庭」。

 

「子どもができたら、小さいときから英会話を習わせて、たくさんの人と交流させたい。あまり干渉せず、でも愛情を持って育てたい。家族とは、楽しくおしゃべりしながら食卓を囲んで…。そんなふうに夢見ていました」

 

そして2016年に念願の結婚。しかし、我が子の死産、離婚を経験し、理想と現実の落差に悩まされるようになります。ひどく落ち込み、SNSなどで人の幸せを見るのがつらい時期も。

そんな気持ちを癒やしてくれたのは、自身のライフワークである「石巻ウェディング」で出会う家族たちでした。

 

「石巻は、古くからの慣習や固定観念が色濃く残る土地だと感じます。対して、型にはまらない結婚式を挙げたいと考える人は、自分らしく生きていこうという思いが強い。慣習に縛られず人生を切り拓こうとしているカップルたちに寄り添ううち、誰かと同じ幸せを目指す必要はないと気付きました」

 

例えば、震災で妻を亡くした男性が、再婚の際に挙げた式。新郎は、亡くなった妻の家族を式に招待したいと話しました。

 

「新たな繋がりを生むいい挙式になると思いました。それを受け入れた元パートナーと新婦、それぞれのご家族もすばらしいですよね。挙式後も、節目節目で皆さん連絡を取り合っているそうです」

 

家族とは、戸籍上の繋がりを持った人たち。そう考えていた豊島さんは今、石巻ウェディングを支えてくれるメンバーたちも、活動を助けてくれる町の人々も、周囲の大切な人は皆、家族だと話します。

 

「“家族とはこうあるべき”という幻想から解放されたことで、他人の目を気にせず、自分らしい人付き合いができるようになったと感じます」

母には母の人生を楽しんでほしい

2020年11月に石巻ウェディングで挙式した加藤チエさん。宮城県石巻市南三陸町の出身で、震災当時は仙台市で一人暮らしをしながら養護教諭を目指す大学生でした。

 

「震災の約2か月後、ようやく家族のいる避難所に行くことができました。小さなころに使っていた地域の体育館は、廊下もスポーツジムも関係なく人が詰め込まれていて…。今でも、テレビの中の世界のようで実感がなく、悲しいという感情までたどりつけていません」

 

「そばにいて家族を助けなくては」。チエさんは、同年、家族が避難所から仮設住宅へ移るのを待って親元へ。大学卒業後は、希望通り養護教諭の職に就きました。

 

2018年、震災から7年経ってようやく新しい土地に実家が再建。そのときチエさんの頭によぎったのは『上京』の二文字でした。

 

「震災を経て、明日何がどうなるかわからないなら、伝えたい思いは伝えよう、行きたい場所には行ってみようと思うようになりました。ただ、震災直後は目の前の生活が最優先。生活に目処がつき、少し余裕が出てきた7年後が私なりのタイミングだったのだと思います」

 

仕事は決まっていませんでしたが、とにかく自分の気持ちに従って上京。その後、同じ東北出身のパートナーとめぐり合い、2020年11月、石巻ウェディングのアトリエで家族のみの小さな式を挙げました。


「コロナ禍だったので、オンラインを交えた式になりました。オンラインスピーチをしてくれたのは、東京の自宅2階に住む同世代の夫婦。引っ越しのあいさつをきっかけに行き来が始まり、今では家族同然の心強い存在なんです」

東京で出会った新しい家族と、血のつながった家族。その全員に対して、チエさんは“家族”という関係に縛られず、個々の人生を楽しく生きてほしいと考えています。

 

「親や周囲の目を気にして行動したり、誰かのために生きたり…。そんな自分がつらい時期が長かったので、大切な人たちにも自分を最優先にしてほしいと思っています。母にもよく『お母さんはお母さんの人生を生きてほしい』と話しているので、母が日々の小さな出来事をインスタグラムに投稿したり、生活を楽しもうとしているのを見るととてもうれしいですね」

ルーツである“故郷の名前”を店名に

震災を機に、血縁とのつながりに自分らしさを見いだした女性もいます。石巻ウェディングでスタート当初から衣装を担当する「交衣室mege」の内田麻衣さんです。

 

宮城県石巻市北上町に生まれ育ち、高校卒業後、進学のために上京。震災のあった年は東京でアパレルメーカーの販売員をしていました。

 

「実家は津波で流されたものの、家族は前向きに生活を立て直していって。麻衣は自分の好きなことに邁進してほしいと言ってくれました」

 

事実、麻衣さんは家族のためのUターンはしていません。震災翌年、入社当時からの希望をかなえ、岡山にある縫製の部署に異動。ただ、経営のために次々と新しい服を量産せざるを得ない現実にギャップを感じ、身の丈に合った暮らしをしたいと2014年、地元に戻りました。

 

さらに2015年。知人のカフェに併設する形で、麻衣さんは貸衣装屋を始めることになります。一つの服や靴、装飾品を大切に役立て続けられる貸衣装屋は、理想的な服との関わり方でした。

 

「当初は、震災で仕事や生きがい、家族を失った方がいるのに、自分だけがやりたい仕事をしていていいのかとためらう気持ちもありました」

 

しかしその思いは、前を向いて進もうとする周囲を見ているうちに、払拭されていきます。そして2019年、店舗を石巻から移転した際には、店名を「より自分らしい店名に」と変更。「交衣室mege」としました。

「『めげ』しかないかな、と即決でした。北上町十三浜には、それぞれの家に「○○さんの家」を示す屋号があり、小さい頃、私は生家の屋号から『めげの麻衣ちゃん』と呼ばれていました。故郷を離れて、それがまさに自分らしい呼び名だとわかったんです」

 

重苦しいイメージもある屋号を、誰に強制されるでもなく名乗ることにした麻衣さん。「めげ」を受け継いだことで家族や祖先に対する思いの強さを再認識したと話してくれました。

 

同年に結婚し、現在は夫のいる神奈川、自分の店がある松島町で二拠点生活中。麻衣さんは心でルーツとつながりながら、常に自分らしくいられる場所を選び続けているのです。

結婚式を通して多様な家族像を発信する

豊島さんは、「家族とはこうあるべき」という固定観念から、人々が少しずつ解放されていくのを肌で感じ取っているようです。

 

古くからの伝統を重んじる石巻では、オリジナルの結婚式は批判的に見られたり、自治体の協力を得られなかったりすることも少なくありません。

 

「それでも親御さん世代は、しがらみに縛られるよりも結婚する二人が幸せなのが一番だという雰囲気になっています」

 

数が多いのに歓迎されなかった“おめでた婚”を許容するムードも感じるそう。

 

「結婚式を通して新しい家族像に出合えれば、多くの人の思い込みはもっと解けるはず。石巻ウェディングが、フィクションではないリアルな世界で、人々の多様な生き方を伝えられたらいいなと思います」


取材・文/有馬ゆえ 写真提供/石巻ウェディング 写真提供(内田麻衣さん分)/古里裕美

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