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産後すぐ復職した私を支えてくれた「みーたん」に…感謝の伝え方は言葉だけでは足りない。

仕事

2020.10.28

2020.10.29

 

夫と私とで会社を立ち上げた頃、息子のまめ(愛称)はイヤイヤ絶頂期の2歳。お腹の中には娘がいて、会社立ち上げ日のちょうど2か月後に産まれることになるのですが、あの頃はほぼ寝ていなかったんじゃないかというほどの目まぐるしさで、ろくに記憶がありません。人生で一番忙しかったかもしれない。

 

そんな日々をなんとか乗り切ることができたのは、会社の立ち上げからプライベートに至るまで、細やかにサポートしてくれたひとりの社員さんのおかげ。

 

その人こそ、私の母「家政婦のみーたん(自称)」です。

 

「親しき中にも礼儀あり」の対応が功を奏した!

私の生まれは九州。当然、母も普段は九州に住んでおり、担当する総務・経理の業務はオンラインで行っています。会社を立ち上げたばかりの頃はまだシステムも定まっておらず、さらに小さな子供たちのこともあったので、思い切って私たちの家の近くに母のための部屋を借り、そこを社宅として毎日通って来てもらっていました。

 

住み込みにするにはちょっと当時の我が家は狭すぎましたからね。母も、プライベートな時間が持てると喜んでいたので、結果的にこのやり方でよかったと思います。

 

私の仕事が忙しくどうしても動けないというときは、保育園の送り迎えも、子守も母が担当します。そうなると母の負担がかなり大きくなってしまうため、残業代や特別手当を出します。

 

お互いの精神的負担を減らすため、実母も“給料制”に

ここまでビジネスライクにする必要があるのか、あまりにドライなじゃないか、といった意見も聞きましたし、そう感じる気持ちも理解できます。しかし、母娘だからこそ甘えすぎないよう線引きは必要だと思いましたし、業務時間外まで手伝ってくれる母にはストレスなく過ごしてほしい。“お給料を出す”ということは、互いの精神的な負担を軽減するという面においてもとても良かったのです。

 

母が東京にいる間、父は父で久しぶりの一人暮らしを堪能していたようで、新しい料理をいくつ覚えたなどと誇らしげに話していました。

 

 

ちなみに、その頃パパ(夫)は何をしていたのかと言いますと…馬車馬のように働いていました。娘が生まれたばかりで、一番張り切っていた時期です。

 

それぞれが息をつく暇もないほど忙しかったあの頃…大変ではありましたが、今では我が家の気に入りの思い出話になっています。

 

 

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文・イラスト/横峰沙弥香

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