人の中にある“左右”の概念が問題をややこしくしている?
物理学の観点から鏡を説明すると、「そのまま物を反射させている」という簡単な言葉で片づけられます。ここで番組では、街の人たちにある調査を敢行。右手を上げている自分を鏡に映した時、鏡の中の人物はどちらの手を上げているか聞いてみました。すると「右手を上げていると思う」「左手を上げていると思う」の答えは、およそ半分ずつに分かれます。なぜ人によって捉え方が違うのか、心理学的には未だに説明できません。
そもそも左右とは、“前後”と“上下”がそろってはじめてできる概念。例えばお茶碗を見てみると、上下があって前後がない形をしています。そのためお茶碗を鏡の前に置いた時、誰も左右が逆になったとは思わないという理屈。早速この理論を人に当てはめて考えてみましょう。
人には前後と上下がそろっているので、左右の概念も存在します。そして鏡の前に立った時、映っているのは前後の向きが逆になっている自分。つまり左右を決める条件が現実世界と鏡の世界で変わってしまっているため、左右が逆に見える現象が起こります。しかしこの現象はいつでも当てはまる訳ではありません。車を運転している気持ちで、バックミラーに映った車を想像してください。後ろの車が右ウインカーを出して曲がっていくのを見て、車が左にいったとは思いませんよね? シチュエーションによって逆に見えたり見えなかったりするので、誰もが納得のいく説明は不可能といった結論に。
番組を見ていた視聴者からは、「なんだか哲学の勉強をしている気分になった(笑)」「プラトンを苦しめた理由もよく分かる。結局は感覚的な話ということなんだよね?」「ややこしい話だな! でも左右の概念には感心したよ。改めて考えると『なるほどな』と思う部分は多い」などの声が上がっていました。