三内丸山遺跡で縄文文化の豊かさを知ろう
木造駅を堪能したら、再び青森駅に戻り、そこから市営バスで30分ほどの距離にある「三内丸山遺跡」を訪れるのがオススメ。紀元前3900年~2200年にあった400~500人が定住していたとされる国内最大級の縄文時代の集落跡で、縄文文化を学ぶことができるガイダンス施設も併設されているので、縄文ライトユーザーには最適。
そもそも縄文時代は、世界史では「新石器時代」にくくられることをご存じですか?
当時、大陸では農耕を営むことで定住を可能としていたんだけど、どういうわけか日本列島に居を構えていた縄文人は、農耕地を作らずに狩猟、漁労、採集によって定住をしていたのだとか。実はこれ、世界でも稀有な文化であり、縄文人の特性。後に、農耕文化が波及したことで縄文時代はフェードアウトし、稲作を中心とした弥生時代が幕を開けるのは、教科書で習った通りです。
教科書ではざっくりと書かれている程度だけど、縄文時代は1万年の中で、時とともに定住生活を成熟させていくプロセスを辿っていきます。縄文時代といっても十把一絡げに扱うことはできず、地域ごとに特徴ある文化が成熟していったことが遺跡から明らかになっているんです。
今回、ユネスコの国内推薦候補に選ばれた「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、この地域の縄文文化の歩みを切れ目なく辿れる史跡等が集まっており、それぞれの時期の特徴を示す17遺跡が揃っています。それゆえ、ユネスコ世界遺産の“資格あり”と国内推薦候補までたどり着くことができたというわけ。縄文1万年の変遷を辿る世界遺産、それが「北海道・北東北の縄文遺跡群」なんです。
農耕・牧畜を行わずに定住を実現し、ライフスタイルを発展させた、その生活様式は世界から注目が集まっているほどで、生産性を意識してしまう(ある意味、農耕的、弥生的な)都会に暮らす現代人が、縄文に魅力を感じてしまうのも何だか納得なのです。
しかも、驚くことに「三内丸山遺跡」は、およそ1700年間も続いたにもかかわらず、戦(いくさ)の道具が一つも出土していません。同時代(新石器時代)の大陸では、争いの形跡があるにもかかわらず、 三内丸山遺跡では一つもない。狩猟、漁労、採集の生活を営んでいた縄文人は、争いのない社会を実現していたのかもしれないと想像すると、「縄文人、スゲー!」と唸ってしまいます。農耕地を作っていないため、「隣の芝生は青い」という概念がなかったんでしょうか。