遠く離れた熊本の実家で父が孤独死していた編集者の如月サラさん。死後1か月にその経過と思いを書いたnoteが翌日には約7万viewを獲得して話題になり「日経xwomanARIA」で連載。その後、書籍『父がひとりで死んでいた』(日経BP)に。

 

認知症の母が「姥捨山に私を捨ててと言った」との記載や、38kgに痩せ細りながら父が生きた証をメモに記し続けたことなど、noteでの生々しい記録が注目を集めました。

 

親の死は誰しもがいつか体験すること。父が遠方で孤独死したとき、助けになったのは、「ゆるい友達の繋がり」だったと言います。

如月サラさん

父がひとりで死んでいた

── サラさんについてまず教えていただけますか?


サラさん:

熊本生まれで、25歳まで熊本にいました。それから上京してアルバイト生活を経た後、29歳のとき、希望の出版社に中途採用となりました。その後、退職して慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科の修士課程に行き修了。今は編集者としての幅を広げて様々な仕事をしています。

 

50代、一人っ子で30代の頃に離婚歴があり、子どもはいません。今は父のもとから引き取った猫と合わせて家に6匹の猫がいます。

 

── お父様について伺えますか。

 

サラさん:
父は20211月初めに実家で亡くなっていました。その半年前から母が認知症を発症していることがわかり専門病院に入院しており、父は4匹の猫と共にひとり暮らしでした。

父が物置にしていた部屋の様子

── 実家に電話したり、お父様の携帯を鳴らしたりしてもつながらず、おばさまがご確認されたそうですね。

 

サラさん:
母の入院費を父に払ってもらっていたので、その確認で月1回連絡していましたが、その月はいくら連絡しても出ない。おかしいなと思って、鍵を預けてあった近所に住むおばに見に行ってもらったところ、「お父さんが倒れている」という電話がきたんです。

 

​​── 最初に感じられたことはどのようなことでしたか。

 

サラさん:

電話が通じなかったときに、もしかしたらと思ったんです。おばから電話が来たときは「やっぱりな」と思いました。悲しいという気持ちより先に、「これから一週間、熊本行かないといけない、お葬式どうしよう、自分の猫どうしよう、仕事どうしよう」というのが頭を巡りました。

 

いきなり、お父さん死んでたんだ、悲しいっていう実感はなかったですね。明日から一週間東京からいなくなる算段をしないといけないと思って、ソワソワして家の中をぐるぐる回っていました。

 

母が元気なら、そこで母と悲しさを話し合って分かち合えたと思うけれど、母が認知症で入っている病院に連絡したら、「お母さんに今、知らせない方がいいです」と言われて。悲しみも全部自分で受け止めることがしんどかったですね。

 

警察から電話で事情聴取を受けた後、「翌日朝10時ごろ、ご遺体を受け取りに来てください」と言われたので、朝いちばんの飛行機で帰って、どうにか間に合いました。

 

警察では父親の遺体を見る前に現場検証の写真を見せられます。死んでいる状況を写真で見せられるんです。自分の部屋で倒れて亡くなっている父の姿を見るのは衝撃が強すぎました。

 

霊安室にいくと既に綺麗に清められて、おかんに入っていて、線香が一本立っていて、そこで初めて、父は本当に亡くなってしまったんだと実感しました。

父が残した飼っていた犬と猫の記録。

死んでいた父の写真の手足は棒きれのようだった。筆まめな人だったのでさまざまな記録がメモされていたが、最終的に体重は38キロだったと本人がレシートの裏に書いていた。

「今まで一生懸命に生きてこられたのでしょう」と年配の警官が言った。

そうなんだろう。なぜだか、その言葉を聞いて父の人生を肯定されたような気がしてほっとした。

(note「父がひとりで死んでいた」より)

noteに書いたら翌日には7万ビューに

── そこからnoteに記載したのですか。


サラさん:

いえ、お葬式から火葬まで数日かかって、その間は親戚が同行してくれて寂しくなかったのですが、納骨が終わって解散して夕暮れになって、明かりもつかないし夕食の準備をする母もいない家でただひとりでいたら突然寂しくなってきました。1月なので家の中は冷たくて寒くて、これからどうしようと思いました。

 

noteはそこから書くのに1か月かかったんです。そうしたら、翌日、7viewを超えていました。年老いた親が死ぬことは誰にでも起こることで、私には私の寂しさ、辛さがあるから心の整理を始めるために書いたのですけれど、ここまで反響があるとは思わず驚きました。

実家の玄関のランプ

今でもまだ怒濤のような日々を過ごしているが、なによりもつらいのはこの哀しみや不安を一緒に引き受けてくれる人がいないことだ。老いた親を持ち、ひとりっ子で遠距離でバツイチ独り暮らしでパートナーも子どももいないというのは、こういうことなのだと心から身に沁みている。

母は前述したように、感情が完全に自分の内に向いてしまっているので、主治医に父の死を伝えないようにと言われている。といってもどうせ会うこともできないけれど。

この重荷や不安に耐えきれず、多くの友人達にメッセージをしたり電話をもらったりした。とてもありがたいと思った。でも中には私の話が重すぎて負担になった人もいるだろうと思う。ごめんなさい。

(note「父がひとりで死んでいた」より)

猫の引っ越しがいちばん大変

── 驚きでしたね。最も大変だったことは何ですか。

 

サラさん:

猫をどうするかということでした。

 

実家では猫を4匹飼っていて、どうしようかと考えなくてはなりませんでした。私が東京に帰っている間はおばに通ってもらって、オイルヒーターをつけっぱなしにして、2日に1回餌を与えてもらっていました。

納骨が済んだ後、友人が実家の整理を手伝いに来てくれた

保護猫活動をしている友人や震災ボランティア団体の方に当たるなど様々な努力をしてみましたが、みんな10歳を超えている老猫です。引き取り手は見つかりそうにありませんでした。

 

東京で既に2匹飼っていましたし、部屋も広いわけではないから迷いましたが、最終的に引き取り手は見つからず、連れてこようと決心しました。

実家で飼っていた猫

そこから父の飼っていた猫にワクチンをうち、健康診断をするため、また1週間熊本に行きました。月に2回も3回も往復するのが本当に大変でしたね。

窮地を救ったのは地元の友達

── しかも猫を運ぶとき、1匹見失ったそうですね。再び熊本まで飛行機で往復して迎えに行ったと。

 

サラさん:
はい、困っていたところ、地元の友人達が助けてくれました。私がいない間、「毎日実家に行って、逃げた猫がいないかどうか探すよ」と申し出てくれたんです。幸いなことにその日の夜に家の中で見つかったのですが、見つけ出すまでの苦労を友人達に笑い話として聞かされました。本当にありがたかったです。

 

── どうしてそこまでしてもらえたと思われますか。

 

サラさん:

「困っているときはお互い様」ということがこの年齢になるとわかってくるからかもしれません。「近くに住んでいるんだし、できることしかしてないから」と言う友人達が本当にありがたいなと思いました。

 

私はそういう友人達の助けになったことはあったかな、と考えました。

猫の運搬に使ったケース

── ご自身のお気持ちはどのように整えて行ったんでしょうか

 

サラさん:

親が亡くなるのは誰にとっても当たり前のことなのですよね。それでも、つらさや悲しさ、家のことの大変さが急に襲ってきます。今回、私も経験するまでわかりませんでした。

 

「親が亡くなるなど当たり前のこと。弱っているあなたに共感も同情もできない」とわざわざ言ってくる人もいたので、その人とは付き合いを断ちました。そんな中、気に留めて連絡をくれたり、話がしたいときに聞いてくれたりする友人達が周囲に多くいたことが本当に救いになりました。

 

また、私はふたたび今、大学で心理学を学んでいるのですが「死生学」という講義を取り、死を学ぶことで、自分の辛さが納得できました。昔は村などの共同体で死を受け止めたのが、現代は核家族化で、死が個別のものになっていると知りました。

 

こういう時代にあるからひとりで受け止めないといけないのか、とこの学問によって俯瞰した視点で見ることができて、慰めになりました。

サラさんがもともと飼っていた猫

── 日常の不便さはありますか。

 

サラさん:
今後私の身分証明をしてくれる人がいなくなったことですね。緊急連絡先欄に親の名前を書くことができなくなりました。兄弟も配偶者もいないので、今は仲の良い友人に緊急連絡先を引き受けてもらっています。

 

──友達はいいですね、どうやって関係を育ててきたのでしょうか。

 

サラさん:
会社関係のつきあいはやっぱり会社を辞めるとほとんど繋がらなくなってしまいましたね。でも、会社員時代から社外の人の付き合いが多かったんですよね。

 

例えば、私はITやガジェット関連の話題が好きで、いち早く最新の機種を買ったりCES(毎年1月ラスベガスで行われる電子機器の見本市)に出かけたりするのですが、こういった趣味を持った人達は、以前から会社という枠を超えてフラットに繋がる傾向があります。

 

そういった、ゆるい友達です。あとは東京に住んでいる同じ田舎の友達とか。どちらも、普段から密に連絡を取っているわけではないゆるい繋がりですね。でもいつもどこかで繋がっている感じがするんです。

 

── そういう友達を大事にしていくことが大切なんですね。

 

サラさん:
もしかしたら、その人たちが困ったり、不安だったりしたときに私が何か声をかけたことがあったのかもしれないですし、役に立ったことがあったのかもしれない。

 

「何年も前にあなたに言ってもらったこの言葉が今でも支えになっているのよ」と言われたことがあるのですが、そんな積み重ねがゆるい友情をつくってきて、今の私を支えてくれているのかもしれません。

 

PROFILE 如月サラさん

熊本市出身。編集者、大学卒業後、出版社にて女性誌の編集者として勤務。50歳で退職し、大学院修士課程に入学。中年期女性のアイデンティティについて研究しつつ執筆活動を行う。父の孤独死の体験を書いた書籍『父がひとりで死んでいた』(日経BP)が話題となっている。

取材・文/天野佳代子 写真提供/如月サラ