大学卒業後、アナウンサーの夢をあきらめきれず、たまたま見たプロレスで実況とリングアナウンサーという職業を知った滝川あずささん。紆余曲折を経てなんとレスラーとしてデビューし、屈強な女になったはずなのに…。
32歳の定期健診で子宮頸がん一歩手前の「高度異形成」が見つかり、状況は一変。それまで大きな病気をしたこともなかった彼女が経験した試練と、それでも前を向こうと決意した背景を伺いました。
アナウンサーになりたかった普通の女の子が、プロレスデビュー
── プロレスとはどのようにして出会ったのですか?
滝川さん:
深夜のバラエティ番組でプロレスのルールや技の説明をしていたのをたまたま観て、面白そうだなって思ったんです。ちょうど番組を観た翌日に試合があることを知り、観に行ってみたらもうすごく面白くて!すっかりハマってしまいました。
── 観る方から実際にレスラーになるには、かなり珍しいケースだと思いますが…?
滝川さん:
プロレス実況のアナウンサーを観て、「これは私が目指していたものに近い! 」と思ったんです。そこで、東京女子プロレス
(注:株式会社CyberFightの傘下にある女子プロレス団体)のリングアナウンサーに応募しました。
ところが、まだ団体自体が旗揚げして間もない時期で、「レスラーとしてやってみないか」という誘いを受けて。迷ったのですが、ここで勉強しておいたほうがいいと思って始めたのがきっかけです。
32歳、子宮頸がん健診でまさかの再検査…自覚症状なしも高度異形成に
── 31歳で惜しまれながらレスラーを引退されましたよね。理由は何だったのでしょうか?
滝川さん:
プロレスに出会う人生なんて想像していなかったので、普通に大学を出て働いて結婚するつもりでした。女性としての人生を考えたときに、自分の場合はまずは子どもが欲しかったので、プロレスを並行して続けるのは難しいと判断しました。
── レスラーを卒業してからはどんな仕事を?
滝川さん:
卒業後は、DDTプロレスリング
(注:東京女子プロレスの運営部)の社員として働いていました。昼間はOLで、週末は試合の手伝いをして。その後、しばらくして結婚したんです。そんな矢先、会社の健康診断の子宮頸がんの検査で再検査という結果が出て…。── これまでも、定期的に検診は受けていましたか?
滝川さん:
大学を卒業してから会社員として働いていたので、会社の健康診断は受けていました。子宮頸がんの検査も2年に1回は受けていたんですよ。
ただ、そのときの検査結果は「半年後に再検査してください」という内容だったので、半年後にまた検査すればいいかと、なんとなく軽く考えていました。
── 自覚症状はあったのですか?
滝川さん:
それがまったく。もともと生理痛が重いタイプだったので、違和感もありませんでした。
子宮頸がんってすぐにがん化するわけではないらしいんです。何年もかけてがん化すると聞いたので、半年後に再検査に行きました。でも今となっては、すぐに再検査に行ったほうが良かったのかもしれないなと思います。
── 実際の治療を始めたのは、何がきっかけだったのでしょうか?
滝川さん:
当時は結婚したばかりで子どもが欲しくて、不妊治療の病院に通っていました。先生にがんの検査結果を見せて相談したところ、大きな病院を紹介されたので、そこで再検査をしました。
健康診断の結果よりも少し進行していたようで、その再検査で「状態があまりよくないかもしれない」と言われたんです。そこで、子宮頸部の組織を少量採取して行う精密検査(コルポ診)を受けました。
この検査がすごく怖かったです。試合でできるアザは「打ったんだな」とわかるんですが、おなかの中って見えないし「切り取るってすごく怖い」と思いましたね…。
── コルポ診の結果はどうだったのですか?
滝川さん:
一部がんに進行している可能性がある「高度異形成」と診断されました。これは
子宮頸がんの一歩手前の状態で、中度異形成、軽度異形成など程度によって分けられているなかでも重い症状です。不妊治療の病院から紹介された病院の医師からは「すぐ手術したほうがいい」と言われて…。それでも出産を諦めたくない!治療法を悩んだ末…
── いきなりのことで、かなり驚かれたのでは。
滝川さん:
そうですね。しかも手術する場合、子宮頸部を円錐状に切除する円錐除去術が一般的らしいのですが、早産や流産のリスクがあると聞いて、なるべく避けたかったんです。子どもが産みたいという気持ちが強かったので…。
その病院でも検査はしたのですが、しっかり調べて納得してから手術を受けたいと思い、もう一度不妊治療の先生に結果を報告して相談しました。そうしたら、切除ではなくレーザーで焼く方法を勧められて。
── レーザー照射を勧める医師は少ないそうですが、デメリットはどんな点なのでしょうか。
滝川さん:
先生からは「円錐除去だと切り取った細胞を検査に出してがんの進行具合を把握できるけれど、レーザーの場合は異常がある部分を切り取らず焼いてしまうので、細胞を詳しく検査することはできない」と説明を受けました。
確かに難色を示す医師もいらっしゃいましたが、ある先生が「がんは進行している状態だけれど、あなたの状態でも焼いて処置できますよ」と言ってくださって。不妊治療の先生にお願いして、その先生がいらっしゃる病院宛に紹介状を書いてもらいました。
── 初めての手術だったそうで、精神的にも肉体的にも辛かったでしょうね。
滝川さん:
手術自体は日帰りで受けられたし、事前に子宮頸部の画像を見ながら「こういうふうに焼いていきます」と内容の説明を受けたので、だいぶ安心できました。
当日は朝に病院に行って手術を受け、麻酔が覚めたら夕方には帰宅できたので、そういう意味ではラクでしたね。身体に負担がかからないことや、時間を取られないのもレーザーを選んだ理由です。
── いろいろと即断せず、冷静に対処されているのがすごいなぁと思います。
滝川さん:
「がん」っていう言葉を聞くと、すぐに死んでしまうのではというイメージが強かったりしますよね。でも、実際に言われたときは、全然現実味がわかなかったというのが実情でした。ただ「子宮頸がんは、すぐ進行する病気ではない」という医師の言葉にはすごく励まされました。
── レスラーの経験が役に立ったという感覚はあります?
滝川さん:
プロレスの試合のときは「もしかしたら怪我をするかもしれない」っていう不安が常にあって。でも、試合の直前になると「よしやるぞ!」と気持ちの切り替えができるんですよね。「あのときの感覚を思い出そう」と思っていました。
── 最初の検査から、手術まではどれくらいの期間が?
滝川さん:
最初の検査から半年くらいかかりました。健康診断が10月で、精密検査を受けたのが年明け、手術を受けたのが5月でした。
術後3か月で子宮頸がんの再検査を受け、異常がなければまた3か月後に検査。1年間異常がなければ、その後は半年に1回の検査で済みます。とにかく再発しないことを祈る日々です。
── パートナーや周囲の人には、病気のことをどのように伝えましたか?
滝川さん:
夫はコルポ診のときも一緒に来てくれたんです。意外と冷静で、心強かったですね。
その当時、私はDDTプロレスリング
で働いていたのですが、やはり男性社会という印象があって。最初は女性特有の病気を伝えるのをためらいました。
でもはっきり言ったほうが会社側にも理解してもらえるし、恥ずかしいとは思いませんでした。所属していた東京女子のレスラーの誰にでも起こりえることだから…。きちんと説明してよかったと思います。
…
次回は、手術後も継続した不妊治療のことや、子宮外妊娠での辛い経験など、数々の試練をどのように乗り越えたかについてお話を伺います。
PROFILE 滝川あずささん
取材・文/池守りぜね 写真提供・取材協力/東京女子プロレス https://www.ddtpro.com/tjpw
※10月11日(月)タイトルを事実により正確な表現に訂正しました